痴呆とともに

 

2009年詳報 2010年詳報 2011年詳報 2012年詳報 2013年詳報 2014年詳報 2015年〜詳報
2009年概要 2010年概要 2011年概要 2012年概要 2013年概要 2014年概要 2015年概要

 

母は8人兄弟のなかの5人姉妹の一人である。

2012年5月に90歳となった母は只一人残っている長寿者である。が、先に逝った4人のうち3人は痴呆で家族は塗炭の苦しみを舐めている。従って、我が母も同様の遺伝子を持つと理解している。事実、事態は私の推測通りに進展しつつあった。そこで、母の最期をありのままに残したいと思い、経過を記録し始めた。途中、母の嫁さんに対する態度が尋常ではないことに気がつく。

いわゆる「嫁と姑」の関係である。痴呆が進み嫁さんに対する言動が常軌を逸する場面も多くなった。回想は母が死んでからゆっくりと思っていたが、元気な母を見ているとこっちが先に行きそうなので、母が生きている間の記録は私が生きている間に残そうと、2012年5月(母90歳)に 自分のサイトにありのままの姿を公開することを決意した。

今後、母の痴呆はますます進んでいく。
私と嫁さんにはこれから先も長く厳しい老老介護が続く。

最終章まで私達の心身がもつかどうか定かではない。そういう意味でこの記録は母のボケと私達夫婦のボケとの闘いでもある。そしてこの長い闘いには嫁さんの協力が不可欠である。
回想録は耐え難きを耐え、忍び難きを忍んだ嫁さんに感謝の気持ちを込めて捧げる。

(2012年7月30日、記)

 

【一人暮らし】

母は、父が交通事故の後遺症による闘病生活の後に死んでから、今日までほぼ一人で暮らしてきた。(父享年74歳、このとき母62歳 

父が死去した2年後、私は子供3人の成長に対応するため少し離れた場所に新居を構え移住した。
(私は自分の家を大工の父に作ってもらうつもりであったが、不測の事故により叶わなかった)
 

母は私の新居が出来ても移住せず、まだまだ元気であるとのことで、父の作った思い出の家(1960年建築)、今は父の魂が住まいする家にそのまま住むことを決意した。

この家は1959年9月26日の台風15号(伊勢湾台風)による高潮で倒壊した我が家に対する国の被災者救援資金を活用して親父が同じ大工である兄弟の力を借りて作ったものである。 

独居生活が18年続いた2004年春、嫁さんから中国大連で就業中の私に、母の異常な症状を聞く。症状は「足のしびれ」で、田んぼの中を歩いているような感触があり、一歩一歩がズブ、ズブと、ぬかるみに沈み込む感じで、歩きにくい状態とのこと。 

それ以前に嫁さんは母の異常に気付き、地元の病院で9回にわたり検診してもらう。
結果は高血圧症であった。

5月から高血圧治療のため本格通院。血圧降下のための薬を各種処方される。
医者通いはすべて嫁さんが行っていた。しかし、嫁さん一人では手に負えなくなってきた。
痴呆らしき兆候が現れたからである。
 

そこで、2004年7月、任務途中で中国大連から帰国し、母の介護に専念するため会社を退社。母は約20年間の一人暮らしに終止符を打ち、私たちの住まいに移転。(母82歳)

母は夫が作った思い出深い家を出るということがよほどの衝撃だったようで、医者や介護担当者から年齢を聞かれた時、迷わず82と答えている。この時の年齢82歳がいかに重く刻まれたかが分かる。以後、母は現在に至るまでずっと82と答えている。母の頭のなかには82という数字が焼き付いており、年齢を聞かれたときにはこの数字しか出てこないのである。

 

【足のしびれ】

高血圧症状は一人暮らしによる野放図な食生活が原因と思われる。

食事も家族がおればみんなの健康を考えて献立を作るが、一人住まいとなって誰はばかることなく自分の好物だけの食習慣となってしまった。自分の好みとは、「肉類」、「コロッケやミンチカツなどの揚げ物」、「うなぎのかば焼き」、「味噌たっぷりの味噌汁」、このように、塩分たっぷり、脂分たっぷりの濃厚味である。

こと料理に関しては誰にも負けないと自負する母は美味しいものを作ること、そしてそれをみんなに食べてもらうことが生きがいであった。家族で外食するときでも、出てくる料理には容赦のない批評をする。それは時として、店員にも聞こえるように話すのである。

しかし、70歳を過ぎてからは得意な料理も面倒くさくなってしまい、揚げ物やうなぎなどは自分で調理せず、スーパーの総菜を買うようになってきたという。 

このような食事を10年以上続けた結果、体質が改変してきたのであろう。かくして母の高血圧症状や高コレステロール血症などは乱れた食生活が原因で、自業自得と言える。ただ、このことと「足のしびれ」との関係はどうなのか解らない。 

地元病院の主治医に「足のしびれ」について相談。現在、この種症状について学術的に研究中であるとのこと。そこで、母を検体として活用することを提案。2004年11月、大学病院にて検査入院のための検体調査を2回行ったのち、病室ベッドの空きを待って、2005年3月7日〜18日までの10日間検査入院した。 

検査結果に基づいて処方された薬を2005年5月から服用。2009年4月ころ、服用4年間で「足のしびれ」症状が大幅に改善し、歩行に支障はなくなった。感謝感謝です!もうしばらく服用し、安定した状態が確保できたところで服用を終了することにする。 

スムースに歩けるようになったので昨年から少しづつ進行している認知症状を予防するため、デイサービスの利用を決意。医師の診断と役場福祉課の介護等級審査で「要支援2」の認定を受ける。

我が地域には16か所の介護老人福祉施設があり、我が町には2か所ある。いずれも順番待ちの様相ですぐには利用できない。幸いにも母はまだ要介護者ではなく「要支援者」である。

そこで、要支援者を対象とした施設を紹介してもらい、そこにお願いした。
 

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2009年

【デイサービス開始】

2009年5月1日、デイサービスの利用開始。(母87歳)

しかし、本人はあまり気乗りしない様子。毎回迎いの車に乗るのが大変だった。迎えが若い男性だと渋々ではあるが、手を取られて出かけるが、女性だと文句ばかりでベッドから出ない。なので、私が機嫌を取り、後から連れて行くことも多くなる。帰りは ニコニコ顔で問題なし。

デイサービスが半年くらい経過するころ、「面白くない」とか、「あんなとこは私が行くところではない」とか言い出し、拒否反応が激しくなってきた。最終的には約1年で利用中止となった。理由は母の利用態度が施設の受容能力を超えてしまったからである。詳しくは 2009年の利用状況詳報 参照。

 

デイサービスと自宅とでは当然のことながら態度(行動、言動)は違うものである。他人に対しては自己主張を抑えて、相手と妥協しながら、穏やかに共存する理性が働いている。これがすなわち「処世術」である。しかし、自宅では親子関係、嫁姑関係などで自分の立ち位置を判断し、共存する理性より自己主張の方が強くなりがちである。俗に言う「内弁慶」で、外面は温厚な立ち居振る舞いで尊敬されるが、家では自分勝手な我が儘人間に豹変する。

 

しかし、自分勝手もある程度のところに留まっておれば、年寄りの我が儘として許されるが、これが度を起こすと人間関係が悪化する。我が地方ではこういう人のことを「意地を固辞」するという意味で「意固辞」(いこじ)と呼ぶ。意固辞な人は大方が陰口叩かれて嫌われている。

 

痴呆が進むと我が儘の度が高まる人が居る。わが母は姉妹の様子から遺伝的にこのタイプのようだ。今後どのように進展するか不安である。できれば「カワイイ我が儘」の段階で留まって欲しいのである。

 

例えば、子供が自分の欲しいものが買ってもらえないとき、店先の床に座り込んで「ダダ」をこねる状況である。ダダをこねた時、相手が折れてくれれば自分の言い分(我が儘)が通ったことになり成功である。通らなければ失敗で、今後のダダのこね方を再検討しなければならない。子供ならダダをこねて行くうちにこのような場合の対処法を学習し、さらに進化させていく。

 

しかし、思考回路が子供に戻っていく老人の場合は学習機能が劣化しているので、なかなかこのようには出来ない。また状況は刻一刻、変わっていくので相手をする人間には俄かには対応できず、悩みは尽きない。

 

一人暮らしが出来ている時代は買い物、来客対応、畑での野菜作り、庭での花樹栽培(特に菊花)、老人会でのカラオケなどなど、刺激は盛りだくさんあった。しかし足がしびれはじめ、歩くことが不自由になり、同居するようになると野菜作り以外は遠ざけるようになった。その野菜作りも少しづつ手抜きし始め、見るに見かねて私が手を貸すようになると、それを理由にますます後退して行った。

 

ときどき隣町に住む母の弟がバイクに乗って遊びに来てくれた。ネギの苗を持ってきて畑に植付けるなど、いろいろ気を使ってくれたが、その彼もバイク運転が覚束なくなり足が遠のいた。

外部との刺激が少なくなっていくと会話も対面も家族だけとなり、どんどん内弁慶化していく。

(外に出るのは、ほぼ毎日の家の前の散歩と週1回程度の外食・畑散策)

 

かくして、デイサービスの目的は只一つ、「非日常の強化」である。

 

このような悩み尽きない介護者両者が正しく状況を把握するため、デイサービスでは「連絡帳」により利用状況を私たち家族に報告する。私たちは本人の家庭での生活状況を同じ「連絡帳」に記述し、施設に報告する。こうすることにより双方の疎通が図れるのである。

 

前表は最初のデイサービス(20095月)の5回の利用状況をまとめたものである。

この時点ではほとんど何の問題もない。が、5月半ば頃、何か変であることに気がついた。

連絡帳だけでは母の痴呆を記録しきれないので、介護日記をつけることにした。
 
【耳鳴りで眠れない】
いままで服用してきた数々の薬の副作用なのか、はたまた痴呆の前兆なのかよく分からないが、耳鳴りは少しづつひどくなっている。主治医に相談しても納得できる回答がない。あまりに苦しむので耳鼻科医院で診察してもらい、薬を処方してもらい服用したが効果なし。逆にフラツキが出たりしたので服用を中止。

しかし、この耳鳴り「ジージーガーガー」は最後の最後まで母を苦しめた。
12月頃からその苦痛が一段と強くなったようで毎夜深夜まで訴えは続いた。
どうしてやることもできない私達夫婦はただただ気休めの言葉で慰めるだけだった。
痴呆と耳鳴りの両方が入り混じった訴えは記録しにくかったので録音し、音声として残した。
詳細は2009年
の利用状況詳報 参照。

 
デイサービス開始から利用停止(2009年5月〜2010年4月)までの血圧値と脈拍数の推移
 
【2009年のトピックス】
@ 自宅の風呂に一人で入る
A 知らない間にガスコンロを点火して調理する事件発生。留守するときはガスの元栓を閉める。
B 廊下やトイレの壁にデイサービスや診察の日などの行動予定を事前に張り紙して知らせる。
C 自分が食べ終わった食器類は自分で洗っていたが、いつの間にか放置されるようになった。
D ”足のしびれ”の治療薬は5年近く服用してきたが、最近はしびれの訴えがなくなった。
  そこで、主治医に当該薬剤の服用中止を希望した。
  検査入院して適切な治療薬を提供してくれ、完治したことに心から感謝したい。
E 薬のことで主治医に相談する。
  「血圧ほか治療薬を服用しているが、母の症状から不要なものがあれば減らしたいと、要望。
F 一人暮らしの長い間、買い物や医者や銀行などとのお金のやり取りはすべて一人でやってきた。
   しかし、年末最後の検診で受付と清算を初めて私が代行した。(この状態は以後ずっと続く)
   
今までの自信に満ち満ちた自慢の人生が終焉しつつあることを強く感じた。
人生いろいろ!痴呆もいろいろ!介護もいろいろ!
 

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2010年
【耳鳴り「ジージーガーガー」をなんとかしてくれー】
2010年は就寝だけでなく日中も耳鳴りを訴えるようになった。
夜な夜な枕元にやって来て、「なんとかしろう」「なんとかしろう」と訴える。
どうすることもできず、ただただその叫び声を聞き流すだけだった。
 
【ショートステイ利用開始】

母の状態が急変した昨年末に、支援サービスだけでは家族が参ってしまうと思い、役場に相談。

2010年1月26日、職員が来宅され、母を交えていろいろと話をした。

翌27日に病院で医師による診断と面談を受け、2月に「要介護1」の認定が下りる。

これでショートステイなどの利用が容易になった。

 

2月はデイサービスを強烈拒否で利用ゼロ。

これではいけないと思い、介護施設やケアプランナ―に相談して、認知症の進行を抑えるための方策としてショートステイを決意。 試験的に2月22日〜24日までの2泊3日の利用を決心。

自宅とは異なる生活環境で非日常の刺激を受けることによる脳機能の活性化を期待したい。

 
【デイサービス再開】2010年4月16日から週2回(火・金)
要介護認定者を対象とする事業者とのデイサービス契約締結。(母88歳)米寿
課題>@安全入浴(身体清潔保持)、A家の外に出て。有意義な時間を過ごす(非日常の体感

 
4月からは再びデイサービスを利用できることとなったが、妄想・独り言・悪態が顕著となったことから改めて、介護認定を再申請。7月に「要介護2」の認定を受ける。
 
【全薬剤服用無用化達成】2010年12月から全ての処方薬を 無くす

これまで計画的に薬を減らしてきた。

残っていた血圧関連の薬も5年間にわたる「食事改革」(塩分控えめで濃い味脱却、油脂分控えめで揚げ物肉類激減)、代わりに魚介類を増やし、味噌汁も薄味化したことで血圧も180mmHgから130mmHg前後にまで下がり安定した。しかし、食事が自分の好みと異なること、歯と歯茎の劣化による咀嚼力低下、そして味覚の変化もあり食事摂取量が激減。結果、体重は8ヶ月で10Kg減り、40Kgとなった(BMI値は24.1から19.3に、肥満度は9.5%から−5.6%に変わった)

 

医師に相談して、カロリー補給用栄養剤「エンシュア・リキッド」250mlを食事補てんのため飲用することにした。試験的に「コーヒー味」と「バニラ味」を本人に飲ませたところ、体層気に入ってもらえたので採用。

2010年4月〜2011年2月までの血圧、脈拍、体温の推移
 
2010年4月〜2011年2月までの食事摂取量(10>100%、0>0%)と体重(Kg)推移
体重  50Kg  49Kg   48Kg  47Kg  45Kg  44Kg   43Kg 42Kg  40Kg  39Kg  38Kg
 
【2010年のトピックス】
@ ごはんを半分残す。残ったごはんを捨てる。部屋を間違える。
A 昼食の支度は今まで自分でやっていた。が、ガスを止めた所為か全くやらなくなった。
B 食器洗いも全くしなくなった。
C 「腹が減ってたまらない」という。
D 昨年3月の介護認定で来宅した職員(要支援2の認定)が再来宅。

  職員の質問に答えるばあさんがその途中途中で嫁さんの悪口を小声でささやくように挟んでいた。
  昨年ではこのような嫁さんを卑下するような言動はなかった。
  
職員が帰り際、玄関口で、嫁さん の日常がいかに厳しいものであるかを悟ったと言い、
  嫁さんのストレスが並大抵ではないことを理解してくれた。

E 服用する薬の量>朝4粒、昼なし、夜1粒、寝る前2粒<計7粒
F 1分前の自分の行動を忘れている。
G 正確な腹時計が狂ってきた。
  食事時刻の30分くらい前になると顔を見せ、【お昼にしようか】などといったものだ。
  しかし、起床が遅くなって朝食の時期を失することの多くなったころから、【お昼る】となる。
  自分の腹時計と実際の時刻との差異が大きくなった結果、時計が【狂っている】という。

H 2月、「要介護1」認定
I 要介護1の認定を受け、「ショートステイ」の利用を決断。第1回目は2月(2泊3日)
J 昼食を進んで食べなくなる。
K 夕食も食べず、眠剤も飲まずに寝てしまう。
L 3月、耳鳴り回避のため寝床(ベッド)の移動要求が頻発。
     放置したら自分でベッドから布団を移動し、寝起きしている。
     ベッドがなくても寝起きできるのでベッドを撤去する。
M 4月2日、デイサービス施設内で杖を振り回す。責任者から手に負えないということで辞退通告
N 4月16日、別施設でデイサービス再開
O 5月、米寿(88歳)祝賀会 
P 7月、「要介護2」認定
Q 10月、自分で仏間に布団を移動
R 11月、独り言、妄想、幻聴が増えてきた。
S 12月、全薬剤の服用を廃止(血圧130〜100mmHg安定、体重40Kg

      4月の体重50Kgが40Kgに激減。
      原因はメタボと高血圧対策の食事改革(減塩、減脂)で自分の好みとは異なる味付け、
      および歯と歯茎の劣化による咀嚼力低下で食事摂取量が減少。
      そこで、食事摂取量減少に対する体重低下に歯止めをかけるため、食事を補てんする
      カロリー補給用栄養剤「エンシュア・リキッド250ml」を一日一缶飲用する。
21 介護士の頭を化粧水のビンで叩いてケガをさせる。
22 自分で料理しなくなって1年が経過。      

人生いろいろ!痴呆もいろいろ!しかるに、介護もいろいろ!
 

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2011年
【体重の減りが止まらない(*_*;】
食事に対する好き嫌いがひどくなり、自宅でもデイサービスでもショートステイでも摂取量が激減する。
【腹が減った!腹が減った!】という、訴えがなくなった。
体重は7月まで下がり続け35Kgとなった。結局、15ヶ月で15Kg減。毎月1Kgのダイエットとなった。
当初BMI値24.1(肥満度9.5%)がBMI値17.1(肥満度−22.3%)
その後、年内いっぱいまでは35と36の間をさまよった。体重は底を打ったようだ。しかしその後の食事摂取量はムラが多く、36kgから38Kgまでを行ったり来たり している。
 
2011年3月〜12月までの食事摂取量(10>100%、0>0%)と体重(Kg)推移
体重  37Kg    36.5Kg   37Kg      35Kg  36Kg   35Kg      36Kg    36Kg
 
2011年1月〜12月までの血圧の推移
 
【2011年のトピックス】
@ 介護施設から食事摂取について、「本人の好きなものを食べさせるとよい」との助言を頂いた。
しかし、好き勝手なものを食べていたから医者の世話になるほどの身体になってしまったのであり、この提案には賛同できない。厳しい食事制限で薬ゼロ人間になったので、元に戻す気はないと反論。

A 自宅での食事態度は最低だ!かといってデイサービスのようにお上手言って、手を取り足を取りの対応はできない。子としては親の節度を求めてしまうので、いい加減な態度は我慢ならない。言うことを聞かなければパンチも出てしまうので、一緒には食事できない。
年寄りになったら、「尊敬される親」か、あるいは「可愛らしい年寄り」になりたいとつくづく思うのである。

B 昼食が二つの献立から自分の好みで選択できる”選択食方式”となった。
かねてよりの要望が実現して嬉しい。人生いろいろ、食事もいろいろ、味付けもいろいろ、なのである。

C デイサービスではレストラン同様、食器をお盆に載せている。
これが食事の進む一因かもしれないと考え、我が家でも木製のお盆を購入して食事を出したが、食べてる端から茶碗や皿がテーブルに移っている。全く効果なしであった。

D 歯茎の劣化、歯の脱落などにより、大好物の米飯、肉、タクアンなどの歯ごたえのあるものは好まなくなったご飯は固いと食べられない。かと言って軟らか過ぎても、【わしゃ病人じゃない!お粥はいらない!】と、怒る。ご飯は軟飯と言われる適度に軟らかいものが良いのだが、なかなか気に入るようには炊けない。
そこで、食感の良い餅米を使ったボタモチ、おかずは豆腐、煮豆、魚は骨のない甘辛い照り焼きなどの総じて甘くて軟らかいものを好むようになった。

E トイレと入浴はまだ、一人で出来る。突然シャワーを浴びたりもする。
特にデイサービスから帰った時には風呂を思い出すのか【風呂を沸かせ!】と要求する。
しかし、沸かすと【汗かいてないからいらない】と拒否する。これぞ!意地悪ババアの本領発揮(*^^)v

F  意地悪ババアの本領そのA、「医者に行くよ」とか「デイサービスが迎いに来たよ」など、バアさんの意に反する行動を持ちかけると【ちょっとトイレに行ってくる】と言い、用が済んでもなかなか出てこない。トイレが”駆け込み寺”ならぬ”駆け込み厠”化している。逃げ込んだら最後、いつまでたっても出てこないので、最後の手段「引きずり出す」ことになる。この時出る言葉は決まって、【親に向かってなにすんだ!】

G 食事とトイレ以外はほぼ終日、布団で横になっている。デイサービスはレクやおやつなど時間帯により様々なイベントがあり、一人で休んでいる暇はない。しかし、ショートステイでは個室のため静かに居室で過ごすことが多く、朝食や昼食を食べないことも多いという。なんとかして欲しいが、施設としては本人の意向を重視するため食べたくない人間に無理やり食べさせることはしない。
今のようなダラダラの生活を続ければ、足腰の強い昔人間ではあるが、使わない機能は退化する。
いづれ歩けなくなるのであろう!周りの人間の言うことを聞かない天罰なのか、これが認知症なのか?!?

H こんな態度に困っているとき突然、一人で表に出て家の前の公道を散歩したり、庭に出て草を取ったりすることがある。

I 体重は1年半で約15Kg減少。痩せて骨皮になったが、妄想悪態は絶好調。明け方近くまで続く事もあり、元気いっぱいのバアさんです。が、腹が減るのか食べた事を忘れるのかアチコチ探し回り、無茶苦茶!
食べ物を手の届かないところに置いたり、冷蔵庫を勝手に開けられないよう扉をガムテープで貼りつけるなど、したたかババアとの知恵比べ(#^.^#)

J 昼夜逆転し、夜行性化したバアさんの夜間の行動は更に激しさを増す。
夜中に知り合いが来ると言っては戸締り(施錠)を解除するので、ガムテープで内張り。ところが、この内張りテープを我々が寝ている間になんとかんと剥がしてしまう。そこで、扉の手の届かないところに内張り。それが出来ないところは外側からテープ貼りしたり、突っかい棒したりと夜間大作戦!
戸が開かないことに激怒するバアさんではあるが、何度も失敗すると叶わないと、半年ほどで諦めてくれた。

K 夜間家内徘徊が多発。暑さ寒さの体感能力が低下しているので、冷房(扇風機)や暖房(ガス暖房+電気毛布)等の器具の温度調整が難しくなってきた。
扇風機の風力調整、電気毛布の温度調整、ガスストーブの切るタイミングなどが不調で、夏が寒く、冬は暑くて布団からはみ出しており危険極まりない状態にある。

M 【薬くれ】騒動再燃
薬がないことへの苛立ちを爆発させ、【くすり!くすり!薬よこせ!】と延々続く。
何十年ものんできた習慣はちょっとやそっとでは消えないことを思い知った(~_~;)

M 嫁いびりは収まる気配すらなく、激化の一途。最早、顔を合わせることも出来ないほどだ!
何とかしないと嫁さんが参ってしまう(~_~;)施設に放り込むしかないのか(~_~;)それは最後の手段だ!

N 年2回の検診では、血液に異常なく、過去の問題点(血圧、コレステロール)が一掃されている。
食事改革による体質改善が奏功している。嬉しいかぎりである(●^o^●)

歳をとったら
”尊敬される親”か!”可愛らしい年寄り”か!の、どちらかになりたい
 

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2012年
昼夜逆転、幻聴、妄想、独り言(悪口雑言)が常態化
一人になると寂しいのか幻聴(死んだ兄弟との会話)が頻発。
自分の行動の意思は全て幻聴からもたらされ、自分の意思がなくなってしまった。
妄想から生まれる独り言は家族を攻撃することばかり!
聞くに堪えない悪態を、繰り返し繰り返すあまりのしつこさに思わず手が出てしまう。
手を出せば止まるが、手を出さずに黙っていると留まるところを知らず。
 
2012年1月〜12月までの食事摂取量(10>100%、0>0%)と体重(Kg)推移
体重  36Kg   38Kg   38Kg   38Kg   37Kg    35.5Kg  37Kg   36Kg   37Kg      36Kg   
 
2012年1月〜12月までの血圧の推移
 
【2012年のトピックス】

@   体重の減少は36Kgほどで落ち着き、体調も悪くないのでほっとしている。

A   体重の測定値が施設(デイサービスとショートステイ)により大きく異なる。
体重計誤差にしては大きすぎる。着衣の有無が原因なら統一するよう要請。

B   食事のこと、薬のことなどあれほど拘っていた事柄に執着することがなくなってきた。

C   思い出したように歯を磨いているが、歯磨き中に歯がポロッと抜け落ちることもある。
丈夫な歯が自慢で、固いせんべいが大好きな人であるが、少しづつ好物ともさよならしなければならない。みっともないのは、大好きな肉も噛み切れず、呑み込めばいいものを吐き出してしまうことである。「胃腸は消化機能もあるから噛み切れないときは呑み込めばいいのだよ」と、言っても昔からの食事習慣でそれができない。悲しいかなである。

D   デイサービスやショートステイの食事は味付けが気に入っているようで、摂食率がよい。
自宅では嫁さんの作った食事が根本的に気に入らないのか文句ばかりでほとんど食べない。
大半がスーパーで買ってくるが、時として嫁さんの作ったものが【美味しい】と、言うこともある。
が、【あんたが作ったの?】という問いかけに、嫁さんは「スーパーで買ってきた!」と、答えている。
いと哀し!

E 総じて、食事は甘目の味付けなら何でもOK

すなわち、ご飯は餅米を使った「ぼた餅(おはぎ)」、おかずは「甘辛い肉・野菜入り味噌煮」や

「鯖の味噌煮」、「魚の照り焼き」などとなる。 

F 昼夜逆転は2年目に突入。夜行も常態化し、二人とも諦めの境地。介護施設からは認知症の典型的症状と言われたが、ゆっくり寝ることもできず憤懣やるかたない。

G 幻聴、妄想、による悪態(悪口雑言)は聞く者の限度を超えてきた。
聞くに堪えないこともあり、思わず平手が出てしまう。

H 年2回の検診もままならない。薬の世話にならなくなって2年目になるが、外に出かけることが億劫になってきたのか「病院に行くよ!」と誘うと、【どこも悪くない!】と拒否する。

半年ごとに検診しなければならないが、思うようにいかず、時期がずれると主治医から「無理やりにでも連れてきなさい!」と、注意される有様。レントゲン、血液、心電などの検査結果は心電以外は問題なし。
(心電異常は後日のエコー検査で“日常生活には支障なし”の判定)

憎まれっ子世に憚る!
トイレと食事はしっかり一人で出来る!元気いっぱいのバアさん(#^.^#)
 

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2013年

<家族の崩壊>
家庭では親というより認知症者のボケババア
へと変態!家族との関係は少しづつ崩れている。

血のつながりだけで母と付き合うことが重荷になってきた。毎日がしんどいことばかりでとても辛い。
<足腰の強さ>
デイサービスの世話になって早4年になる。
元々体力はあったが、布団で横になる習慣がいつのまにか出来てしまい、その結果足腰が弱くなった。
進んで散歩することも減り、
急速に足腰が弱くなってきた。夜中、腰が痛いと言いながらトイレに行く途中「ドテッ」と転ぶことも増えてきた。今までは「歩けなかったら這って行け!」と、叱咤してきたが最近の様子は尋常ではない。

<寝具の件>
2004年今の住まいに同居した時は
寝起きが楽だと思いベッドにした。

しかし、本人が耳鳴りの原因が寝室にあると 言い張り、仏間などへの移動を再三要求した2010年3月にベッドを止め、床に布団敷きとした。
当時はまだ元気で 楽に歩いていたが、今はヨロヨロ。ベッドに戻した方がよいのでは?などと思案したが、結局ベッドより運動量が多いのではと判断して、床敷き布団をいままで通り続ける。

<帰宅願望>
施設から、「玄関の外で息子さんの車が来るのを30分以上待っていた」、「帰宅願望が強くなり、帰りたいと怒鳴っていた 」などの報告が多くなった。

<在所の兄姉がよく出現する>

痴呆の進展とともに結婚後の長い人生より、多感な幼少時代の記憶の方がより鮮明に蘇ってくるようだ!結婚後の第2の人生より子供のころの思い出の方が強くなるのは、この種病気?の特徴なのであろうか?

子だくさんの兄弟姉妹のなかで一番よく現れるのがとっくに他界した長男である。

【あんちゃん、あんちゃん】と呼んで、【早よう迎えに来てくれ!】とか、【何をグズグズしとる!】とか、【玄関開けて待っているのに、いつまでかかるのだ!】などと叫び続ける。

 

姉妹ではすぐ上の姉が頼りにされている。(姉は10年ほど前に他界)

伊勢湾台風で住まいの借家が高潮で流され、姉を頼りに住まいを確保。

土地の世話もしてもらい翌年、大工の親父が被災者に対する金融公庫融資で家を作り定住することとなる。親父が事故で他界(74歳)したあと、ズッと心の支えになってくれたのが姉であった。何かにつけて姉さんの名前が出てくる。

気に入らないことがあると、必ずこの二人の名前を大声で呼び、【早よう、わしを連れに来てくれ】と何度も何度も懇請する。毎日一緒に生活している人間より、まだ生きていると思っている在所の兄や姉にすがる。なんとも不憫である。

<入れ歯作成>
食べることが大好きな母の大好物、「肉」や「溜まり菓子」を食べさせたいと思い入れ歯を作った。
ただ、顎や歯茎の衰えで入れ歯を支えることが出来なくなっている可能性もある。
僅かな望みであっても、母の喜ぶ顔を見たい。
 
2013年1月〜12月までの食事摂取量(10>100%、0>0%)と体重(Kg)推移
体重 36.5Kg  38Kg  38Kg  38Kg  38Kg  38Kg  37Kg   38Kg  37Kg   37.5Kg     37.5Kg   37Kg 
 
2013年1月〜12月までの血圧の推移
 
【2013年のトピックス】

@ デイとショートの体重の測定方法(衣服の有無)を統一し、かつ測定機器の検査を実施してもらった結果2Kgほど増えてしまった。今年は2月から38Kgで推移しており、BMI値は18.8(肥満度ー14.5%)で安定している。2月には初の外食ツアーにも参加した。

A 食事態度足を組み、飯台から遠く座る)が悪く 、落ち着きがない。食べ物を箸で持ったまま視線をキョロキョロ動かすのでポロリと落としてしまう。確かに90歳超えの老婆が自分で箸を持って食べることは立派なことではある。しかし、普通箸で摘まんだらそのままわき見をせずに 、それを口に運ぶはずであるが、この人は摘まんでからアチコチ見ながら、喋りながら、よそ見しながら口に運ぶのでこぼすことが多く、食卓の周りはゴミ箱のようだ。

 デイサービスでもテーブルから遠くに座るが職員が介助してテーブルに近づけてくれる。
エプロンも職員の促しで着用。手で食べたり、こぼしたりはあるがテーブルに近いので汚れは少ない
昨年末前ころから食べこぼしが目立っている。上手く食べることも多いが以前に比べると湯呑をひっくり返したり、物をつかみ損ねて落とすことも多くなってきた 。

 我が家では昨年来、朝昼夜着座指導しているが全く無頓着。

 足を組み、離れて座ることがしっかり記憶されており、元々このような食事スタイルだったと思える。

 何か言いようものなら、嫁さんの顔を横目でにらみ、毒舌をは く。だから二人の気分は最悪!

B  口が痛いというので見ると歯が2本抜けており、くちびるがはれぼったくなっている。
このままいくと咀嚼力が低下し、摂食にも影響すると思い、”
従来からのご飯とおかずという献立を超えて欲しい”と、施設に要望した。

なお、
歯が抜けてからの食事摂取量は激減している。心配なので主治医に相談したら「歯医者に行き、認知症者の歯抜け対策に関する最新の技術情報を調査したらどうですか?」との助言をいただいた。バアさんが昔から世話になっている歯医者もあるので相談してみる。

C   注意力低下について、デイ施設のアドバイス
手指・腕の力が低下してきていることのほか、物体が視野に入る距離感の認識が衰えてきている可能性もある。しっかり検査している訳ではないので推測の範囲です。断定的なことやきちんとした医療知識もまだまだ未熟な私達で日々勉強中ですからこのような返答しかできませんがお役に立てば幸いです。いつも自宅の様子を詳しく教えていただきありがとうございます。このような貴重な内容は日頃のケアのヒントや成功につながり、大変助かっております。

D   耳鳴りは我慢できないほどになりつつある。    
以前は原因についての苦情であったが、最近は耐えられないほどの苦痛となっている。
如何ともしがたく手をこまねいているが、本人の辛さは大変なものと察する。

耳鳴りの所為かどうかわからないが耳が遠くなっており、他人の話を無視するような態度が時として目に余ることがある。物事に対する集中力の欠如、落ち着きの無さが気になる

E デイサービスの迎えには昔の口癖【今日は頭がボーとする】とか、【めまいがする】とか言い訳けする拒否反応 や【薬がない】などの記憶が戻ることもあり、生活態度は一進一退である。
デイ施設でも度々「めまいの訴え」があるようだ!

F 妄想・独り言・幻聴
独り言は本人個人の不満 ストレスを発散させるもので、適切な時期に適切な量が必要である。
妄想について のデイ施設のアドバイス
夕方〜夜間明け方にかけて幻視・幻聴が現れやすい種類の認知症もあります。日中は穏やかに過ごしていてもその時間帯に本人には見える人物や動物などの声が聞こえることもある。
毎回、同じものが見える場合もあるが、本人の生きてきた人生の中で強く印象に残っている人物等が現れることもある。昼間に現れるのは精神疾患が原因の場合も多い 。

“妄想、幻聴“復活!
妄想が激しくなっている。その多くが【早く迎えに来い】だ!。相手と話している様子もあり、幻聴ではないかと思う。特に、何か気に入らないことがあると現れるので、自分の居場所を快適化するための方策、すなわち、現実逃避ではないかと思っている。
ただ、よくもこれだけしゃべり続けることが出来るもんだと驚くことも多く、喉は乾かないのであろうか?不思議な体である。
自分の思いと異なる方向を感じた時、その軌道を修正すべく執拗に、目には見えない相手と闘っている。この現象(幻聴・妄想・独り言)は本人の脳トレのために大いに役立っていると思う。
とにかく、一晩中しゃべれるエネルギーには感服する。

G トイレで便の付いた紙発見。自分で拭いていたが、拭き方がメチャクチャなので手に付いた便がアチコチ(手すりや廊下の柱など)ついているのではと思い、雑巾で拭いて消毒スプレーで殺菌した。
パンツの上げ下ろしがうまくできず、濡らしてしまう事件発生。足腰の衰えで中腰姿勢が困難になってきたか?また、トイレットペーパーが外に棄ててあることから拭いた後、中腰でペーパーを便器内にすてることが出来なくなっていることが考えられる。

  まだ一人で排尿排便できるが下着の上げ下ろしが 不完全なので粗相につながってしまう。
また、トイレで「ウンチが出ない困った!」とか「便が出ない」とか言うことが度々あるが、便が出ている事も多い。と言うことは、本人は排便したことに気付いていない。
尿についても同様で、「オシッコがしたい」と言い、便座に座ってはいるが尿が出ないことも多く、座ったままいつまでもしゃべっていることがある。

  昨年12月にトイレの場所を示す貼り紙をしたが、最近これを見ても場所が分からなくなった。

  目は良く見え、字も読めるが貼り紙を意識して見ようとしなくなったようだ。

  我が家の部屋の場所忘れが1か所増えたので貼り紙追加>台所・食事
                            ⇒⇒⇒⇒⇒

 

H 初めて「介護者のつどい」 に嫁さんと参加。テーマは我が家の今日的課題「オムツの選び方」
  目的は最近トイレでの粗相が増えてきて、オムツの必要性を感じているから。

  尿パッドが帰宅後、廊下に落ちており、更にトイレットペーパーが陰部に当ててあった
トイレの水タンクの上にパンツ、便器内に手拭きタオルが入っていた。流してなくてよかったが、こんなことは初めてである。

  トイレでゴソゴソしているので見たらパンツ、ズボンなど脱いで下半身スッポンポン!
ウンチがアチコチ塗りたくられ大騒動!風呂場で洗って着替えさせる。

  ただ、施設では尿意も便意もあり、トイレの場所が分からない時はきちんと訊いている。
  下着やパンツ・ズボンも上手に上げており、パンツを脱ぎ棄てるということはないとのこと。 
  他人様の前では無様なところを見せられないという羞恥心があるのであろうか?

 

  我が家のトイレはいつの間にか気に入らないことがあった時の“駆け込み寺”化している。

  トイレには入るが必ずしも排泄せず、幻聴妄想などの影響で独り言していることが多い。

「デイサービスへの期待」それは「非日常の実現」!

施設の懸命な 介助と、介護計画の策定と、家族との三位一体の協力関係で少しずつ実現!とてもありがたく!とてもうれしい!

 

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2014年
<介護施設への年頭のご挨拶>
穏やかな正月は今年の平穏を期待させます。

皆様の心遣いに感謝申し上げるとともに、母がお天気のように穏やかに過ごせるよう祈ります。
現実はかなりの面倒をおかけすることになると思いますのでよろしくお願いします。

 
<入れ歯作戦失敗>
バアさんに好きな肉や硬い溜まり菓子を食べてもらおうと、昨年末から製作開始。
手を尽くしたが、歯茎の変形と劣化で3D画像から作った入歯ではあったが、違和感がひどいようで、食べ物を口に入れた直後、口の中に手を入れて外してしまう。
入れ歯に慣れてもらおうと寝るとき以外は入れ歯を装着した。が、いつの間にか外しており、それがどこにあるのか分からない紛失事件が頻発した。
何度か増し締めし、これ以上は締め付け出来ないところまで締めたが、それでも外してしまう。

結果、まともには使用されずお蔵入りとなった。
今後は、ギンさん並みに歯茎が強くなり歯化し、歯がなくても噛めるようになることです。頑張れバアさん!
 
<発熱事件>
2月、施設で体温計測のところ、37℃台で鼻水・鼻声・咳症状。午後確認で、38.3℃まで上昇した。
が、本人は意に介さず元気にレク参加。翌日の自宅では特に異常なし。
翌翌日は朝37.3℃だったので、夕方病院に出かけ診察受ける。

病院での検温結果>36.3℃
自宅での検温結果>36.7℃(軟便大量放出後)

ズット食欲もあり、傍目には何の異常もない。血液検査結果>風邪ではない
バアさんは昔から風邪を引いたところを見たことがない化け物のような女だ(*^^)v
インフルエンザワクチンの接種案内も役場から送付されるが一度も実施したことはない。

かく言う私もワクチン接種は今だかって受けた事がない。風邪かな?!と思ったら、即座に「ルル3錠」のんで寝れば、朝には治っている。風邪薬「ルル」は私のために開発されたようだ(●^o^●)

 
<自宅での検温が難しい>
体温計を脇の下に入れるが、これがなかなかうまくできない。
ゴソゴソ動き回るので体温計がズレたり、外れたりして、まともに測れない。
施設では緊張しているので、介護士の要請におとなしく従っているようだ!
 
<トイレまでの廊下に全行程手すり設置(日曜大工) >
コーナー部は傾斜の手摺りを設置した。我ながら良くできたと、嬉しい(*^^)v
 
<食 事 ・ 排 泄>
食事量の増大に伴い、排便も多量化している。我が家でも量の多少はあるが、ほぼ毎日排便している。
快食・快便なので体調は良好なのだと有り難く思っている。

粗相も増えつつある。今はまだ一人でトイレできるが、足腰の衰えと2足立地の手ぶら動作が難しくなるので、いづれダメになるだろう。ただ、自分ではしっかりやっている気持ちが強く、世話になっているという気持ちが少ないのが残念である。

歩行が困難となりつつあり、トイレでズボンやパンツの脱着がまともに出来なくなっている。
尚、ズボンはゴムが強くバアさんの力では下しにくいと考え、自宅ではパジャマに替えた。

 
<体 重>
過去に施設での計量値が大きく異なることがあり、「衣服着用」に統一したはずであるが、まだまだ徹底していない。1月から3月で3Kg増となった。体重計を更新したということであったが3Kgの誤差は容認できない。

自宅にも体重計はあるので、着衣状態でで測定したこともあるが、本人がじっとしていないので、また長くは立っておれないので、現実不可能であった。そこで、計量は施設にお願いすることとなった。

体重は血圧同様、主治医に聞かれるので必要なデータである。

 
<帰宅願望>

その@
自宅の様子>どこに帰りたいのかはっきりしないが【そろそろ帰らないと!】という発言はズッと続いている。今、住んでいる家ではない家がどこかにあると妄想しているようだ。他の利用者には同類の現象は見られませんか?
施設の助言>自宅でも同じですか。ほかの利用者でも自宅に居るのに「帰りたい」ということがあるそうです。そのような場合、子供の頃などで昔住んでいた家が思い浮かんでくることが多いようです。しかし、必ずしもそうではなく、単に昔の事を良く覚えていたり、年齢を尋ねると「40歳」などと答える方もあるので、昔に戻っていることもあるようです。

そのA
自宅での様子>【アンちゃん迎えにこんか】という妄想が多い。アンちゃんとはとっくの昔に亡くなった兄さんで、場所は自分が生まれた在所である。今、自分が住んでいる家は自分にとって住みにくい所だと思っている。
「あんたの家はここだよ!」と毎日言い続けているが、どうしても!なんとしても!当てもない家(在所)に帰りたいのである。

施設の助言>女性は結婚前の若い時に感覚が戻っている人が多く見られる。認知症という病気は新しい記憶から順に忘れて行くためだと思います。
旧姓は覚えているのに今の名字を忘れてしまう人もいます。ご本人は昔に戻っていて、以前住んでいた家しか覚えていないのかもしれません。忘れてしまうのは仕方の無い事なので息子さんが言い聞かせていることで「知らない家ではない」と、安心しているのかもしれません。

 
<耳鳴り・暴言>
昨年ひどかった耳鳴りは今年に入って訴えることがほとんどなくなった。
また、【早く迎えに来んか――」などの暴言もなくなった。
ただ、耳が遠いことは同じなので、会話はほとんどできない状態。

他人の話を聞かないのではなく、聞こえない。
しかし、視力は私よりはるかに良いので、相手の表情で気持ちを読み取っているようだ。

 
ショートステイ中心の介護

3月から妻の体調不良でバアさんの自宅介護が難しくなった。
そこで、バアさんの介護を、ショートステイを多用して家族の負担を減らそうと計画 見直し。
10日間の長期滞在をお願いする。

さらにショートステイ1ヶ所では不十分なのでケアプランナーに追加計画をお願いする。
運よく系列の介護施設に空きがあり、世話になることが出来た。

4月からはさらにショートステイを増やし、施設での介護体制を強化した。
それでも私一人では妻の看護とバアさんの介護を両立させることは肉体的にも精神的にも難しくなった。具体的にはバアさんの2足歩行の能力低下、トイレでの粗相増大、食事の支度などである。
そこで、嫌がるバアさんを連れて主治医に相談。4年前(2010年)要介護2の認定を受けて以来の認知症進行度を診断してもらい、「要介護3」と認定された。

5月はデイサービス4回、6月は土日以外すべてショートステイにしたためデイサービスゼロ。

以降も基本的にはショートステイを多用し、デイサービスの世話になったのは次の通りであった。
7月>7回、8月>4回、9月>1回、10月>2回、11月>1回、12月>1回

 

”老老介護 無残”  家族の健康異変で、自宅介護困難!

ケアプランの再検討と、介護施設の 積極対応で、家族の苦境を打開!

とてもありがたく!とてもうれしい!

 
2011年3月〜2014年12月までの食事摂取量(10>100%、0>0%)と体重(Kg)推移
体重   37       35    36      38             37              36                    38                         37                              34       35  36 35 36
 
2011年3月〜2014年12月までの血圧・脈拍・体温の推移

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2015年
 
 
 

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