旅順 2001

2001年7月31日

こんにちは!お父さんです。元気だかね!
順序が逆になりましたが、7月1日(日)に旅順を観光しました。

実は日本から生産管理システムの電算化試行のため約1ヶ月の予定 で来ていたSEの仕事が少し、てこずり遅れているのです。

リポートの前に、ちょっとそれを話しましょう。
日本でデモをやり、うまく作動することを確認したうえで、持ってきたプログラムであったが、ここ中国語Windows2000ではうまく作動しないのです。
日本でトライしてますからバグではない。

Windows2000なら中国語、日本語共に認識できるようです。
が、 実際は細かいところで言語の解釈に問題が発生していた。
こちらには優秀なプログラマーが一人います。
彼は丹念にプログラムを追求し、原因を究明した。
しかし、原因調査にかなりの時間を使い、滞在予定を大きく延長しました。

中国のあと、実は韓国工場でも同じシステムを「ハングル」で立ち上げる計画でいましたが、ここで、時間が来たからと言って、あきらめるわけにもいきません。
日程を延長しました。 まあ、大体目途がついて、来週韓国に行けそうな感じである。

私はそんな彼を慰労するため、まだ私自身も行ったことのない「旅順」を観光することにしました。
ガイドは楊芳と彼女の友達「李琳」です。
李琳は5月に「海王九島」で知り合った人で、楊芳と同年です。
彼女は日本の家具メーカー増本木業(福岡県)の総経理秘書をやっており、日本語はベラベラで、大変頭のいい人です。 工場が旅順にありますので、彼女は旅順には大変詳しいのです。
彼女にお願いしたところ、快く了解してくれました。

ところが、重要なガイド役の李琳にアクシデントがありました。
当日、待ち合わせの時間に彼女が来ないので、電話すると眼を怪我して医者に行かなければならないと言う。 コンタクトが割れて、瞳を傷つけたそうです。
事故があったのは昨日、仕事中という。今日も医者に行かなければなりません。

残念だが、あきらめるしかない。頼りは楊さん一人。
ところが、情けないことに、彼女は旅順をあまりよく知らない。困りました。
そこで、旅順をよく知っているタクシーの運転手を探すことにしました。
いました。料金は10:00〜16:00まで貸切で300元です。
3人ですから一人100元の交通費です。安いものです。

ただ、旅順のすべてが観光できるかといえば、それはありません。
日本人が入れない場所がたくさんあります。

歴史の教科書に載っている「旅順口」と彫りこまれた石碑、巨大な大砲、燭台形をした塔などの遺跡のある地域には日本人は入れてもらえません。 もし、内緒でもぐりこみ、発覚したときは、日本人を案内した中国人と、その所属する組織の責任者は厳罰に処せられるといいます。

昔は内緒で入った人も多かったらしいが、最近は取締りが厳しくなり、入ることは出来なくなったようです。 従って、今日は多分、大したところは見られないでしょう。

まずは有名な203高地です。 巨大な砲弾の形をした慰霊碑があり、外国人OKです。
この砲弾には「爾霊山」(エルリンシャ-ン)とか書かれており、語呂合わせの当て字のようです。
中国語で「203」は「er4 ling2 san1」と読むからです。

旅順市街図(pdfファイル133KB)

入場券

203高地入口>帰りにタクシーの後部から撮影

駐車場(日本人観光客がいっぱいです)
ここからは歩きです

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観光客用の籠> 下りは勢いよく駆け抜けていきます。
見ているだけでも恐ろしいもので、とても乗りたいとは思いません。

慰霊塔

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塔の土台石は赤錆で真っ赤でした。ちょっとおどけてみました。

戦車の残骸>二人とも今は昔の顔つきです。

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三人バラバラに記念写真
  子供たちは屈託なく遊んでいます。平和そのものです。
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説明板>日本軍司令乃木希典が戦死者慰霊のため建立。
今はこの戦争を戒めるためにある。

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ロシア軍の塹壕跡>激戦の跡とは思えない静けさです。

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日本軍将校の慰霊碑

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ここで逢った日本人の久保田さんと

この写真はEmailで送りました。
久保田さんは茨城県で給水工事業を経営されています。
メールアドレスの入った名刺をいただきましたが、大切にし過ぎて所在が解らなくなり、写真を送るのが、ずいぶん遅くなってしまいました。 以下は久保田さんへのメールです。

ニーハオ!久保田さん。好久不見了!
7月1日、旅順203高地でお会いしました鈴木です。
写真をお送りするとお約束して、はや半月がたってしまいました。
実は、いただいた名刺を紛失しまして、探しまくっていたという次第でした。
遅くなりましたが、お送りします。

大連の旅はいかがでしたか? 私もここに赴任して一年が経ちます。
3年くらいの予定で来ていますが、時あたかも21世紀、劇的な中国歴史の1ページを実体験しており、とても幸せな毎日です。 是非また近いうちにお越しください。今度はプライベートで。
気楽に、のんびりと、わくわくする大連をご案内します。
ではでは、再見!

さて、203高地を見終わったところで、丁度お昼になりました。
昼食の場所をタクシーの運転手に案内してもらいました。 旅順は国際観光地です。
日本と同じように、たくさんの観光者が食事をし、土産を買う場所(サービスステーション)は当然あります。 広い駐車場には大型バス、小型バス、マイクロバスなどでいっぱいでした。

食事が終って支払いするとき驚きました。料金が580元だったからです。3人だから一人約190元です。 通常の中国料理で一人100元を超えることはまずありません。何でこんなに高いのか?調べました。 原因は、オコゼの生き作りです。このオコゼがまたでかかったのです。
頼みもしないのに生簀で一番大きいのを料理したようです。なんと一匹200元。

高価な昼食>おこぜ、シャコ、うに、キクラゲ
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他に高いのは「うに」。2匹で100元。これを除くと280元で一人約90元となる。
いずれにしても普通より無茶九茶高い。
観光地だから高いのか、あるいは、我々が日本人だと解っているので、日本人料金だったのか。

午後一は「日露戦争陳列館」です。
この陳列館は203高地に近い「東鶏冠山北堡塁」にあります。

旅順は1904年年初に勃発した日露戦争の舞台です。
最も有名なのが、午前に観光した「203高地」です。
一進一退の攻防戦の末、日本軍(乃木希典大将)は難攻不落の203高地をロシア軍から奪い、1905年1月1日には旅順を陥落したのでした。
この「東鶏冠山北堡塁」も203高地同様、すさまじい激戦の後が見られます。

旅順はまた、1905年5月、日本海軍(東郷平八郎司令長官)がロシアのバルチック艦隊を殲滅させ、圧倒的に勝利した日本海大海戦の利権として、ロシアから譲渡された舞台でもあります。

旅順はこのような戦争の跡が海岸線、山腹など至る所に散在しています。
日露戦争陳列館はこの歴史的事実を展示しています。
写真も自由に撮れました。少し紹介します。

入場券

日露戦争陳列館

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東鶏冠山北堡塁の激戦跡>日本軍がロシア軍を撃破した突破口
外壁面にはすさまじい弾丸跡があります。
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次はどこへ行きますか?と、運転手に尋ねると、しばらく考えてから車を走らせました。
行き先は「日露監獄旧跡」でした。
実は、ここは原則として日本人が入場できない場所のひとつです。
運転手は私たちに注意しました。「何があっても絶対にしゃべってはいけない」と。

我々3人は入場券売り場に進みます。
楊さんは入場券を3人分買いました。
楊さんは入場券3枚を持ってゲートに進み、係官に渡しました。
係官は我々の顔を食い入るように見つめました。
係官がなにやら楊さんに聞いています。
質問内容は私にも解りました。「他是那国人?」
楊さんの顔色が消えていきます。
係官は更に質問します。「日本人?」
楊さんは観念して小さくうなずきました。
係官は再び私たち2人の顔をじっと見ました。
2人は無言でじっと立ち尽くしていました。
係官は、私たちに入場を促しました。
入るとき、係官は楊さんになにやら言いました。
後で聞くとそれは、「場内では一切、口を利いてはならない」でした。

実際はほんの一瞬の出来事だったと思う。
が、私には気の遠くなるような長い時間に感じました。
周りに空気が無いのでは、と思えるほど酸欠状態になりました。
じっと、息を殺していたのでしょうか。

中に入って、3人はお互いの顔を見つめあいました。
無言ではあったが、これ以上の幸せは無いと言う顔をしていました。

   
入場券 当然ですが、カメラは持って入りません。
入口は可能でした。記念写真を見てください。
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中を見て思うことがありました。それは「なぜここを外国人に見せないのか」です。
この旧跡はしゃべりはしませんが、忌まわしき歴史の生き証人だと思いました。
是非とも広く公開し、多くの人々に愚かさを感じさせ、次世代への戒めとすべきです。
これは、運良く拝観できた、私の率直な感想である。

中はたくさんの捕虜収容部屋(たこ部屋のようにぎっしりと詰め込まれていた様子が、よく理解できます)、捕虜となった敵国人を取り調べる部屋(手枷、足枷、拷問用具などが展示されている)、光の入らない独房、刑執行部屋、各種作業部屋などです。また、捕虜が着ていた衣類もたくさん展示されています。

収容所の中ほどに小さな部屋がありました。
部屋の奥(窓際)には大きく立派な机が通路側を見るように配置され、入口には普通の机がひとつ置かれています。入口の小さい机の壁面を見てびっくりしました。
そこには、額に入った、セピア色した富士山の絵が少し傾いて掛かっていました。
私はタイムスリップしたような衝撃を感じました。
この小部屋は、多分、昔の姿をそのままに、何十年も変わっていないのではないか?
いったいこの小部屋は何だったのか? 誰が入っていたのか?

さて、時刻も15時近いのでそろそろ帰ろうかと言ったら、運転手が帰り道に自然動物園があるがどうするという。 折角だから寄ってみようか。 動物園の名前は「大連獅虎園」。
 
自然動物園は大連市内の西浜海路沿いに昨年出来ている。 比較すると、こちらは規模も小さく、動物も少ない。がっかりしました。 動物園の名前からライオンと虎がたくさんいるという話でした。 虎は10頭近くいたが、なぜかライオンは2頭しかいなかった。
 

しかし、入場門はたいへん立派なのです。

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楊さんに入場券を買ってもらいます。
入口だけ見ると中味(動物園)も大変立派に思えます。こんなところが中国らしさなのでしょう。
入場料も大人40元とかなり高い。(入場券に印刷されている金額は大人50元、子供30元)

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入口は当然のこととして門があります。 中に入ると熊がのそのそ歩いています。自然公園ですから!

   

虎が5頭、木陰で休んでいました。
80元出すとアヒル一匹をこの群れに投げます。虎は先を争ってアヒルを奪い合います。
獲得した虎は少し離れた木陰にアヒルを持っていき、おもむろに毛を口でむしります。
私は毛ごと、そのまま食べてしまうのかと思っていましたが、毛は食べられないようです。
器用に口で毛をむしっています。虎の獲物の食べ方を知り、またひとつ物知りになりました。

ではでは、再見!
From DALIAN With Love!

2001年9月30日>お母さん旅順観光

宋さんと楊さんの案内で、午前中は旅順観光。
午後は私が大連で最も好きな国宝級の景観「浜海路」を星海広場から棒垂島までを観光しました。 ただ、残念なのは雨が朝から降っているのです。

左程強い雨ではないのですが、もやがかかって景色は良く見えません。
昨日の夜から雲行きが悪くなり、実質的にこの日は丸一日雨でした。大連に雨女来訪。

雨の少ない大連には恵みの雨だったのです。
が、折角お出でいただいたお母さんには不愉快な雨となってしまいました。
心がけが悪いとあきらめるよりいたし方ありません。 雨が欲しいときには是非お越しいただいて、降らせて欲しいものです。大連市長もきっと喜ぶでしょう。

旅順は「203高地」「ソ連勝利塔」「東鶏冠山北堡」「日露戦争記念館」「溥儀宿舎」を観光しました。 雨のため足元が悪く、あまりゆっくり見られませんでした。

 
203高地 ソ連勝利塔
 

東鶏冠山北(日本軍がロシア軍砦を爆破して突破した場所)

 

日露戦争記念館での展示物>砲弾ほか

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白玉山

 

 
   

   
   
   
   
溥儀記念 館(?旧大和ホテル?)
   
溥儀執務室>幸運でした。ちょうど溥儀が仕事していました(^O^) お母さんも溥儀と記念写真とりました。太好了!
   

溥儀さんにお願いして、楊さんと宋さんも椅子に座らせてもらいました。

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