博物館・記念館

2001年4月22日
関向応故居
2002年3月10日
大連自然博物館
2004年4月18日
現代博物館 A
2003年、2008年
大連貝殻博物館
2001年9月8日
故宮博物院>ウエブ
2002年10月2日
現代博物館 @
2007年10月4日
現代博物館 B
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「関向応」故居

2001年5月5日−A、こんにちは!お父さんです。元気だかね!

4月22日金州区向応鎮徐屯村の田んぼを見、釣りや山菜採りを楽しんだ(?)後、この記念館「関向応故居」(guan1 xiang4 ying1 gu4 ju1)へ行きました。

関向応は1902年9月10日この地の貧しい農家に生まれた。本名は「関治祥」という。
20歳に学校を卒業後大連の「泰東日報」に勤務。筆で帝国主義と戦った。
23歳のとき共産党員になり、その後、多くの委員、政治局員、書記を歴任。
激しい二万五千里の長征にも参加した。

1937年7月7日夜、北京郊外の河で起こった日本軍と中国軍との発砲事件(いわゆる盧溝橋事件)はそれから以降8年近い日中戦争へとなっていった。

関向応は抗日戦争勃発とともに中国工農紅軍から組織改編した八路軍の一つの政治委員を担当、普西北の抗日根拠地を創建した。
1946年7月21日病気で延安にて歿。享年44歳。

私が生まれる4,5年前に日本と中国はこの地で激戦を繰り広げて いた。
以来、60年以上の歳月が流れているが、日本人への感情はいかなるものか?
ひょっとするとこの記念館を日本人が見るのは私が、初めてかもしれない。

 
故居入口
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牟さんと運転手の衣さん
 
全員記念写真
 
故居看板
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中庭全景 記念館入口
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牟さんと楊さん 関向応胸像前で>牟さんと彼氏の初君
 
関向応胸像前で>張書さん 関向応胸像と碑

これは毛沢東が彼を称えたものである。

 

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碑の説明

 

忠心耿々     zhong xin geng geng

為党為国     wei dang wei guo

向応同志不死  xiang ying tong zhi bu si

 

(耿々:献身的である)

 

ではでは、再見!
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故宮博物院

2001年9月8日、こんにちは!お父さんです。元気だかね!

中国最大の博物館「故宮博物院」のホームページが7月16日開設されました
URLはhttp://www.dpm.org.cn

トップページは真紅の背景に、故宮の中庭です。その下にメニューが14あります。

豊富な画像、動画(マクロメディア)で解りやすくガイドしています。
中国簡体語、中国繁体語、英語の他に、なんと日本語版もあるのです。
ただし、全ては網羅されていません。
日本語版はメニュー左端の「故宮博物院総説」だけです。

すなわち、トップページ右の言語選択ボタン「日本語」をクリックすると「故宮博物院総説」ページが現れます。 と同時に、このサイトを楽しく見るために必要なアプリケーションソフトのダウンロード要請がでます。

このソフトは3種類です。
1、Flash5>故宮博物院(Palace Museum)の案内を見るためです。
2、MGI plugin>動画閲覧用
3、PbsViewe>中文関連文書読み取り用
この3つのアプリを全部ダウンロードしてください。

ところで、皆さんはこのような圧縮ファイルを何処に保存しますか?
私はこのような一時的なファイルは、「デスクトップ」にします。
ここなら、ダウンロードしたファイルは必ず見えます。
昔、うっかり保存場所を忘れ、探しまくったこともあったからです。

このEXE圧縮ファイルのアイコンをダブルクリックするとインストーされます。

メニュー右端には「友情連接」という文字があります。
意味は大体解るでしょう?そうです。他サイトへのリンクです。
ここには中国の主要な博物館のホームページがリンクされています。

これもなかなかのものです。
リンク先には更に、ここにリンクされていない他の博物館などがリンクされていますので、この関係をたどっていけば、中国の文化財関係はすべて理解できそうです。

ではでは、再見!
From DALIAN With Love!

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大連自然博物館

2002年3月17日、こんにちは!お父さんです!元気だかね!

3月10日(日)大連に来て、初めて博物館に行って来ました。
大連には大きな博物館が3つあります。
今回はその中で最も大きく、中国6大博物館の一つで、1998年星海公園の一画に移転新築された「大連自然博物館」です。

旧大連自然博物館は現在も建物は残っています。
現在のロシア人街の突き当たりにあるロシア風の建物です。
写真の奥に見える、屋根が緑色の建物です。

 

この写真は2001年1月にとったものです。
このときはこの建物が旧大連自然博物館だとは知らなかった
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そこで、2002年6月再び、この建物だけ撮りました。
 
戦後はずっと「大連自然博物館」として利用されてきたようですが、ロシアと日本に占領されて来た大連の歴史のなかで、この建物は数奇な運命をたどりました。
また、この建物は大連の発展を象徴する歴史的遺産でもあります。
数奇な運命を紹介しましょう。

作ったのは帝政ロシアで、最初は鉄道事務所でした。
1902年ダーリニー市役所となり、
1904年日露戦争で日本軍がダーリニーを占領すると、日本軍司令部となり、
1905年日本軍が旅順を陥落し、名前が「ダーリニー」から「大連」に改名されると満鉄本社となり、 以後、「大連ヤマトホテル」、「満鉄大連医院」と利用され、
1926年博物館の前身「満州資源館」となりました。

さて、この日は大変暖かい日でした。 そこで、久しぶりに歩くことにしました。
新しく出来た星海公園行きの市電線路に沿って歩けば近道です。
 
星海公園前の市電通り 公園前の帆船前で記念写真
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場所が解らず、公園前で、散歩風情の老夫婦に尋ねる。
親切に教えてくれた。約500m先を左に曲がったところという。
私の中国語も捨てたものではない(^O^)

市電通りから博物館までの途中には門があり、警備員が配置されていた。
最初は不思議に思ったが、一画にある住宅を見て驚いた。豪邸がたくさんあるのです。
ロシア人か日本人が避暑用の別荘として作ったと思われます。

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博物館は海岸線にありました。入場料は30元です。 建物は地下1階、地上?階の立派なものです。
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1階右側には「ミイラ」、「自然石」、中央には吹き抜け2階分恐竜の実物大模型と骨や歯の化石。
ちょうど、日本人観光客の一団が中国人のガイドに案内されてやってきました。
私はその後、ガイドの説明をずっと、ちゃっかりと聞いていました。

地下は人体の不思議を解剖図や立体像で説明するコーナーでした。
この人体模型はすべて瓶に入っており液体(ホルマリン?)漬けでした。
とすると、これは本物なのでしょうか??

体の一部(耳や目など)から生殖器に至るまで、すべてが液体と共に瓶詰めされています。
家族連れ、若いカップルなどが覗き込むように見ていました。

2階(実質3階?)は中央にしろながす鯨、まっこう鯨などの実物大模型、左右の展示室には、海の動物、哺乳動物、鳥類、両棲類、昆虫などの剥製が所狭しと並んでいました。 観覧時間は約1時間でした。

 
帰りは、最近この市電路線に走り始めた最新電車に乗りました。
市電路線はまだまだ先のほうに伸びるようですが、
今は博物館前の駅名「黒石礁」が終点です。

料金は2元です。 まだ全部が新車にはなっていないが、
5分おきに走ってくるので、 新車を待って、乗りました。
<老人と娘さん>
このくらいの年齢の老人はみなさん大体こんな服装です。

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新市電
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ではでは。再見!(^O^)/〜〜
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現代博物館 @

2002年10月2日、こんにちは!お父さんです!元気だかね!

国慶節のお休みに、楊さんの案内で星海広場へ行きました。
やさしい楊さんは退屈な私のために、いろいろ気を使ってくれます。

 
まず最初に新しく出来た「現代博物館」を見学します。
外観は立派な感じですが、中味はどうでしょうか?
入口でちょっと気取って記念写真

それではご案内します。

 
入場券売り場は入って右手にあります。確か大人30元でした。
写真のホールは無料です。左手の方に入場門があります。
 
地上3階、地下1階で、階毎にテーマがあります。
 
1階は大連市の紹介。
   
   
 
2階はむかしの大連を紹介している。
レトロな雰囲気が懐かしさを呼びます。市電も展示されている。
 
清酒の看板 今は見られなくなった「自転車タクシー」の銅像
 
楊さんも露店でおやつを注文しました。
 
3階は大連の産業
 
海産物 ガラス工芸
 
鉄道技術の紹介 大連の自然
 
スポーツの紹介>世界を震撼させた「馬軍団」の監督「馬さん」は大連人です。
また、サッカーは中国リーグで何回も優勝している名門クラブです。

<感想>
歴史が100年位の大連ですから、表現できるものは多くない。
忌まわしい、戦争の歴史を持ち出せば、きりがない。
新しい時代を創造するための博物館づくりに努力しているようです。

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現代博物館 A

2004年4月18日(日)>星海広場前の現代博物館へ奥さんを案内
博物館の前で子供に写真を撮ってもらいました。よく撮れていたので安心しました。
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入場料は30元
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5階まであります。一番印象的なのが、4階と5階です。
日本統治時代の大連が懐かしく紹介されています。

電車の前で、何か驚いています。白い柱には清酒「白鶴」の宣伝ポスターが貼ってある。
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その横側には同じく清酒と煙草の宣伝があります。
当時、日本酒やタバコは大連で製造していたのです。
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当時の小吃部(軽食堂)の外でおやつのようなものを作っている(今のスナック?)

わたしも注文しました。
出来るのを待っていましたが、なかなか出来てこないのでキャンセルしました。
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妙な箱があります。手前に覗き窓が4つあります。
覗くと正面に何か(絵のようなもの)が出るようです?
覗き窓が4つあるということは、4人が同時に見られるということでしょう?
覗き窓はかなり低いので、多分、子供がのぞくのでしょう?
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横の看板に「絶技之表演」とあります。
が、この小さい箱の中で、人間が演技できるわけはありません。
何が見られるのかよく解りませんが、この箱の中には子供が喜びそうな、なにかが見られるのでしょう。 上の看板には拝観料1回1元、別な演目を見るときは2元とある。
いつごろ使われたものか解らないが、拝観料は結構高いのではと思います。

本件についてのヒントとなる記事が
2007年1月9日(No.254)の日中新聞に掲載されていた。

これは中国の正月<春節>の伝統的な風俗、習慣である。
街角を巡回する「のぞきからくり」に子供たちは目を輝かせて覗いたことでしょう。

もうひとつ正月の風物詩を紹介しましょう。剪紙売りです。

私も買ってきて、家のガラス窓に貼っておりましたが、
ビロビロになってきたので、2007年元旦に剥がしました。

人力車があります。お母さんは疲れたのか乗っています。どこへ行くつもりなんでしょうか?
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5階には大連ゆかりのスポーツを紹介しています。中国陸上を世界に知らしめた馬軍団創始者馬さん。
馬さんは大連の瓦房店市出身です。大連は昔からスポーツ王国だったようです。
5月6日の新聞に10Km金メダリスト王軍霞さんの華々しい映画界デビューが報道されていました。
デビュー作品は英国で大人気となり、映画館は超満員で立ち見のお客さんも出たそうです。

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中国サッカーリーグで輝かしい実績を誇る、大連サッカークラブ。ひとり変な選手がいきがっています。
足元にボールがあるのですが、お母さんのカメラアングルが悪く、写真を見ただけではどんなスポーツをやっているのか解りません。

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外に出ると、中国ではよく見る光景に出会いました。「路面書道」です。
特殊な筆に水を含ませ、歩道の石畳に書いていくのです。 紙も墨も不要で、安上がりの書道です。
筆の穂先は毛ではありません。ゴムのような材質でした。水をたっぷり含ませ、一文字を一気に書きます。

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現代博物館 B

2007年10月4日

2月平野君は春節で休館だったが、今回はOK>入場料@30元

ちょうど「瀋陽故宮博物院の清代宮廷文物展が最上階で開かれていた。
出口君に見せたいのは「古大連」のコーナーである。

今まで気がつかなかった写真があった。それは「星海広場」建設の歴史である。

1995年埋め立て中の星海湾

1999年完成図(このときはまだ現代博物館は出来ていない)

「古大連」のコーナー
木造の懐かしいちんちん電車に乗車する。

中国古来からの戸外飲食店>多少形は違うが、今でもあちこちにある。
出口君は今すぐにでも店先に立てそうです(^_^)v(^^♪<m(__)m>

私は相変わらず、サッカーだ(^O^)
2004年奥さんが来た時、ここで、同じようなポーズで写真撮った。

最上階は「瀋陽故宮博物院の清代宮廷文物展だけだ。

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大連貝殻博物館

2003年9月6日

星海広場から濱海路西路方向にできた、 お城風の建物にはかなりの人がいました。
私は建設中のときから、これは悪趣味なホテルだと思っていたのです。
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この悪趣味な建物は、実は博物館でした。
「大連貝殻博物館」といい、世界の貝殻を集め、かつこれを販売していました。
海に囲まれた大連ならではの博物館ですが、なにもこんなに凝った古城にしなくても、とは思いました。
 
中はこんな感じで、まだ未完成です。
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入ってすぐ、世界の貝の分布を示すコーナーがあります。
世界を5つの大陸に分けていました。
一角に切符売り場があります。
ここで博物館の入場券を買います。30元です。
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博物館の中はこんな雰囲気です。 高い入場料ですが、物珍しさも手伝ってか、結構人がいた。
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展示もきれいでしょう
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貝殻に精巧な細工をしたものや日本のほら貝もあります。
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アンモナイトの化石も大小たくさんあります。
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濱海路西路方向
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2008年5月2日

友人を博物館に案内 この建物を建設中の2002年5月、
私はラブホテルかと思った(^レ^;
名前は「シャトー星海」(@_@)

 
結婚記念写真を撮っているカップル多し。記念写真に10万円以上使うそうです。 なかなかの美人でした。
 
貝殻博物館入場券

私としては5年ぶりの見学であったが、体調最悪だった。
冷房の効いた寒い館内で、ベンチにずっと座ったまま過ごす。

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