大連・広州 2008
大連の労働節

4月28日〜5月2日

今年、最初の中国訪問は爽やかな5月と決めていた。
この計画は、昨年国慶節に一緒に行った、中学校の同級生も希望していた。

ただ、自治区の役員を終えたとはいえ、今年は「公民館の建て替え」という、自治区100年の大事業を控えている。

ちょうど私が自治区の長であった2006年1月、日本中を揺るがすこととなった「姉歯建築士による耐震偽装設計」が発覚した。
区民から「公民館の耐震性は?」と問われ、大いに困りました。
公民館の耐震強度が不足している事は、既に一部役員には明らかな事実であった。
いつ発生しても不思議ではない巨大地震(南海・東南海複合地震)に対し、公民館のような公共施設が対応できていないということは極めて重大である。

とにかく安心安全な公民館にしなければならない。
補強策、改築策検討しつつ、9月に区民総意の公民館造りをスタートさせた。
2007年は設計と資金計画、今年2008年は竣工の運びとなる。
実務は後継区長と建設委員会が担当しており、私としてはほとんどやることがない。

そこで、中国訪問を長尾部春まつりが終り、現公民館解体の時期と考えたのでした。
幸いにも今年の祭りはいつになく盛況で、かつ無事に終えることができたので、心おきなく旅行を楽しむことが出来た。

日程は4月28日(月)から5月6日(火)までの1週間。
(労働節は5月1日)

今年は王さんが赴任した広州の工場に訪問する。この事は昨年、大連で王さんと約束したことであった。

広州工場には操業した2005年に訪問したが、全員が立ち上げに必死であった。多忙ななか、迷惑を掛けてしまった。

あれから3年経過した。工場の操業は好調のようであるが、中国最大の成長を誇る「広州」、世界の工場「広州」は世界中からの需要に答えるべく超多忙な毎日が続いている。

特にモータリゼーションの台頭で自動車産業は国営企業、欧米系合弁企業、日系合弁企業の三つ巴の戦いが展開される。

特に今年2008年は中国乗用車工業にとって歴史的な年でもある。すなわち、中国初の自動車会社「中国第一汽車集団公司」(長春)が初の国産乗用車「東風71」を試作開発したのが、ちょうど50年前の1958年だからである。

王さんも連日、お客さんと新しいプロジェクトを検討している。
流暢な日本語と優れた専門知識を有する王さんは特に日系企業の信頼が高い。

王さんは昨年運転免許証を取得した。
今まで営業車は専用運転手を雇っていた。今後は営業マンが直接、業務用車に乗って営業活動する。

マイカーはまだ持っていないが、1500ccクラスの小型車が日本円で50〜60万円で買える時代となった。ほぼ年間所得だ!もうすぐ買えるであろう。

ただ、13億人中国が化石燃料機関をこの調子で使い続ける、と思っただけでゾッとするのも事実だ!今回、大連・広州で体験した車の渋滞は昨年以上に深刻だ!

1年1年、あらゆる事柄が私達の想像を超えた事象へと変る。隣国の発展を手放しで喜んでいる場合ではないか(^レ^;

大連の楊さんは昨年フィアンセの劉君と結婚し、彼の会社がある北国「黒龍江省ハルビン」へ行ってしまった。

今回、逢えないかとあきらめていたが、念のためメールしたら、会えると言う。実はオメデタで3ヶ月検診のため大連に来ても良いという。
(旦那の劉君は仕事の関係で来れない)

今回は当初、大連2、3日→広州2,3日→大連2,3日を考えていた。
チケットを従来通りネットの「アルキカタドットコム」で調達しようとしたが、乗り継ぎチケットは扱っていない。

そこで、名古屋ー大連往復チケットを買い、その途中で大連ー広州を往復しようとした。広州往復チケットは大連の友人に頼んで現地で購入する。大連からの返事は次の通りであった。

「ノーマルチケット>大連⇔広州往復4,400元(約7万円)
事前予約チケット>往復約2,600元(4.2万円)>GW価格
(ゴールデンウィークチケットは通常でも高めであるが、更には早めに動かないと安いものがなくなる)
CZ(中国南方航空)にて名古屋発着での中国へのチケットを手配すると会社では現地についてからの国内便は、半額になるサービスと聞いている。現地についてから、現地で購入する場合はこのサービスが無い為に、ディスカウントチケットを現地で探さなければならない」

これをふまえ、チケットは会社が利用している業者に依頼した。
工程は大連ー広州往復を止め、名古屋ー広州ー大連ー名古屋とした。
すなわち、行きは広州、帰りは大連経由である。
これで、チケットの予約完了。
残された問題は広州ー大連の国内線割引券待ちである。
この日程を広州に連絡したら、重大情報が入った。

「4月15日〜30日は広州交易会があって、広州市内のホテルは軒並み高額になります>通常300元が1400元になる

これは一大事である。広州には3日宿泊するだけであるが、5倍も宿泊費を費消するわけにはいかない。
5月1日以降は元に戻るということなので、工程を広州ー大連、逆に出来ないかチケット会社にお願いする。可能だった(^O^)

出発前約1ヶ月の3月17日見積り依頼、3月30日工程逆転依頼、4月10日からの広州ー名古屋直行便の就航などなど紆余曲折の結果、幸運にも恵まれて、無事チケットを確保できた。

しかも全区間ディスカウントチケットを確保してくれた。
(ただし、国際線の燃料追加代金が正式に値上がりして、見積より3000円弱上がった)

このような、きめ細かいサービスはネットでは困難であろう。
フェースtoフェースの営業が必要な理由がここにある。
チケットは4月22日、佐川急便で送られてきた。
が、何かおかしい?今までと違う?
ネットで注文したときは、料金前納で、チケットは出発当日、空港で引き換えていた(いつも心配していた)ところが、今回はそれがない。

慌てて、チケット会社に電話で確認した。
今では全ての航空会社がお客の工程を電算登録し、パスポートを見せるだけで、搭乗手続き可能だという。
既にこのシステムは世界の趨勢で、中国は遅れていたようだ。

チケットの代りになる航空会社発行の「Eチケット」という書類が1枚、請求書と一緒に送られてきた。内容確認して、翌日23日に2人分振り込んだ。

今回も全工程を信頼できる中国南方航空にした。

〔航空運賃〕>全工程ディスカウント航空券
1、航空券>名古屋/大連、広州/名古屋    71,000円
2、航空券>大連/広州 片道            18,000円
3、空港税>
  中部空港2,500円、現地空港1,990円    4,490円
4、燃料付加費                     15,210円
                          合計 108,700円

旅程を以下のように決定し、楊さんと王さんおよび大連駐在員
に連絡し、具体的な面会予定をメールで打合せした。

旅程

4月28日(月) 中部空港発12:15(中国南方航空:CZ620)
          大連着13:45(現地時間)
5月03日(土) 大連発11:45(中国南方航空:CZ6261)
          広州着15:10
5月06日(火) 広州発15:05(中国南方航空:CZ379)
          中部空港着21:10(上海浦東空港経由)
          (上海着17:05、上海発18:25)

5月6日帰国の上海乗り継ぎについては事前にチケット会社から以下のような案内があった。

※広州空港で預けたスーツケースは、中部空港までスルーで行きます。中国の出国審査は、上海浦東空港で行います。
上海浦東空港で南方航空の係員が待機していますので安心です。

しかし、直前に新聞・テレビで、上海空港の荷物と出国審査トラブル報道があり、大いに心配した。
実際は空港係員の懸命な誘導にも係らず、搭乗口の変更やあちこち歩かされたりと、不安がいっぱいであった。

旅程概要

日程・天候 行程
4月28(月) @ 中国南方航空CZ620<中部空港12:15発>大連空港13:45着(現地時間)
A ホテルチェックイン>香洲花園酒店(五つ星)
(奥林匹克広場東側、長春路沿い)
   TEL
:0411−88856688。部屋ツイン1泊529元(8200円)@4100
B 徒歩>中山公園から駐在員との食事会場所「昌隆」(火鍋)へ
4月29AM

4月29PM

@ 午前中>旅順口「龍王塘」へ花見(桜見物)(昔の仕事仲間と偶然逢う)
A 昼食>
ホテル「渤海明珠」の30F展望レストランで自助餐(バイキング)
B 散策>マイカル、港湾広場「古玩城」、冨麗華ホテル裏「大連工芸品交易市場」、中山広場
C 夕食>焼肉店「籠屋八兵衛」(優豪斯店)(ホテル近くの珠江路沿い)
4月30(水) 終日>開発区<昔の仕事仲間と旧交を温める(会社2社見学)
5月1日(木) @ 市内散策>人民広場、森ビル裏日本式スナック街、勝利広場(ホタテの貝柱物色)、天津街、
   中山広場、鉄路文化宮、肯徳基、家楽福(ショッピング)、市電で大連駅へ、ホタテ貝柱購入
A 夕食>メル友王安隆さん夫婦および友人と四川料理
「巴国布衣」へ
B その後兼ねてよりの懸案事項であった夜の部へ4人で出かける。
C 足マッサージ
5月2日(金) @ 午前>駐在員マンションから発展する西安路副都心の写真撮影
A 午後>星海広場、貝殻博物館
B 夕食>駐在員、王さん、楊さんと大連最後の晩餐
5月3日(土) @ 11:45大連発(中国南方航空CZ6261)、広州着15:10(王さんと一緒)
A ホテルチェックイン>大華酒店(四つ星)英文:MajesticHotel(天河路625号天娯広場東塔)
    部屋(30F)ツイン1泊388元(5990円)@2995円
B 夕食>広州料理店「同甘同味」
5月4日(日) @ 広州香江野生動物園
A 夕食>広州面料理「老面館 九毛九」
B 高級烏龍茶「鉄観音」買う。
5月5日AM

5月5日 PM

@ 広州市内観光>中山記念堂、千年古道「北京路」、雑貨商店街「芸景園玩具文具精品城」(一徳路 
A 夕食>
珠江沿いの「鴻星芸都海鮮酒家」
B 21:00から遊覧船で珠江遊覧(約1時間半)
5月6日(火) @ 広州工場見学
A 午後>王さんの運転で広州白雲空港へ
B 
15:15広州白雲空港発(中国南方航空CZ379)、17:25上海浦東空港寄航、
   18:25上海浦東空港発、22:15中部空港着(予定より約1時間遅れた)
 

2008年4月28日(月)>大連@

飛行機は中部空港12:15発、中国南方航空CZ620。
奥さんに友人とともに空港まで送ってもらう。
空港では前回学習した、1階のバス・タクシー乗降場で素早く降りた(^O^)

搭乗手続きは簡単だ。パスポートとEチケットを出すと、すぐコンピュータで確認できた。

3階でおみやげ物色。
事前に買ってきたのは「イシハラフードの最中10個入り、6箱」だけだ。
最中は中国にはない日本古来の和菓子である。
駐在中も何度か持っていったが、持ち方・運び方が悪いと最中の皮がボロボロに壊れて見るも無残。
そこで今回は隙間なくぎっしりと10個を詰めたものとした。
おかげで無傷で渡すことが出来た。

前回、組立式箸を尋ねた小間物屋のとこなめ工房「陶翔」に立ち寄った。
やはり、依然として組立式は扱っていなかった。が、ここで面白いものを発見した。
携帯電話に貼り付ける蒔絵シールである。
製造元は(株)金銀箔工芸「さくだ」(金沢市)。紛れもなくメイドインジャパンだ(^O^)
これは喜ばれると直感した。事実そのとおりであった。

楊さんと王さんはすぐにハサミで切って、自分の携帯に張っていた。
ほかの人もみんな面白いと喜んでいた。全部で6種類各1枚ずつ買った。

@ タトウ柄「パンダ」@780
A 蝶シルバーA@788
B ドクロ@630
C 龍(中)@735
D 鶴@735
E なでしこ@735

通関して、出発ロビーで個人のお土産を買う。
最近は中国人もタバコを吸う人が減っている。が、少しは買っていかないと予定外の人と逢うことになると、土産がないのは失礼です>LARK4箱@1900円
チョーヤの梅酒が目に入った2本買う(@3000円と@2000円1本づつ)
更に静岡茶2個@1000円(綺麗な日本情緒の和紙で作った筒入り)

土産だけでもかれこれ20000円を越す。いつもこのくらいはかかっている(^レ^;

このほかに現物として、王さん宛に中越先生のシャドーボックスアート(大きさ30cmx40cm)があり、ガラスが割れないように厳重に梱包して、スーツケースに納めてある。
中越先生には飛びっきり美味しい烏龍茶をお返しするつもりである。

 

通関した正面には季節の展示物がいつも目を楽しませてくれる。
中国ではこのような展示は見られない。 出し物は5月の節句「武者人形」であった。

 

 
いつもことであるが、着陸前の大連市内は見通しが悪い。
昨年2月は深い霧で着陸寸前まで空港が見えなかった。
昨年10月は曇り空で見にくかったが、大連港はボヤっと見えていた。
今回は、靄がかかってはいたが、今までで最も見通しが良かった。

ずっとトイレを我慢していた。機内トイレは面倒くさい!
@シートベルトを外し、A隣の客にすみませんと腰を引かせ、Bフラフラしながら通路、
C運が悪ければ待って、D中に入ってフラフラしながら準備し、Eフラフラしながら用を足し、Fフラフラしながら切れの悪さを恨み、Gフラフラしながらチャックを閉め、Hフラフラしながら手を洗い、Iフラフラしながら手を拭き、Jフラフラしながらドアを開け、Kフラフラしながら通路、Lフラフラしながら隣の客にすみませんと言い、席に着く。

大連空港の荷物引取り場所近くのトイレに駆け込んだ!
ここで、中国最大級の啓蒙活動「エイズ対策」の広報あり。

 
無事通関し、出ると誰も迎えには来てくれていない。
ウロウロしていると乗り合いバスの客引きがゾロゾロやってくる。
うっとうしいので、我々はタクシーを捜していると断る。
しばらくして、いつも可愛らしい雛さんが迎えに来てくれた。
今日は自分の車ではなく、会社の送迎バスだ!運転は久しぶりの尹さん。

空港からホテルへ直行。
今日はちょうど日本本社から役員が来ているため、工場には寄らない。
社中で雛さんから総務部長に昇進したことを聞く。彼女は日本人を知り尽くした人です。
総務は脇役であるが、ここがしっかりしていないと、会社の運営はおぼつかない。
ストレスいっぱいの部署であるが、持ち前の明るさでリーダーシップを発揮して欲しいと激励する。

途中、西安路の携帯市場でCIMカード購入
店員は50元カードで十分という(無くなったら追加購入すればいい)>親切だ!!

今まではCIMカードを新調しても半年間の未使用で電源が放電して使えなかった。
電話は電圧200Vのため、100V電源では何時間充電しても充電できない。
従って、大連に着いてから急いで充電していた。

このことを知った出口君は、我が家に200Vのコンセントを作ってくれた。(彼は電気の専門家)
配電盤を開けて、200Vの端子からコードを伸ばして外にコンセントを設置した。

 

これで200V電源機器の接続が可能となった!非常感謝!!

今回は事前に充電して持っていったから、CIMカード更新後、即座に電話が使えた。
早速、関係者に大連着の一報せり。

@ 大野君>今晩の会食(場所と時刻)>もちろん昌隆の火鍋だ!
A 楊さん>既にハルビンから大連に来ており、私との再会を心待ちにしている(^O^)
B 王さん>広州からお客さんを連れて、発注先の大連の専用機メーカと打ち合わせ中
        で、もちろん私の一報を待っていた(^O^)
C 王安隆さん>5月1日の夕食会を決定
D 潘君>4月30日に彼の新勤め先を訪問>開発区
E 最新メル友中西さん>焼肉店「籠屋八兵衛」の店長さん>4月29日決まり。
F 5月2日(広州出発前日)だけが未定>無理矢理大野君と夕食。
   私の友人も連れて行くので、ストレス解消にはなるでであろう(^O^)

 

これで、全ての日程が埋まった。
個人的には例によってアチコチ探索したいところがいっぱいあるが、一人旅ではないのでそうもいかない。
次回は、こっそり一人で、その後の穴場を探索しなければならない(^レ^;

さて、今回の宿泊場所であるが、これまでは新しい人を向え、日本人として思い入れひとしおの旧大和ホテル「大連賓館」を選んできた。しかし、出口君は2回目でもありことから、最新のホテルもまた楽しからずやと考え、雛さんが紹介してくれた「香洲花園酒店」に決めた。
このホテルは5つ星でありながら値打ちなホテルで、場所は奥林匹克広場の東側、長春路沿いにある。

チェックインでは保証金を取られる。
宿泊費はツイン1泊529元x5泊=2645元であるが、約2倍の5000元が保証金だ!
もちろん、チェックアウトのとき精算する。

ホテルのフロントで兌換しようと5万円だしたが、3万円が上限だという。
このとき雛さんがやってきてあげると言って、ホテルから出て行った。
我々はロビーを見回して写真を撮る。こんな感じです。
ロビーは喫茶が2ヶ所あり、ゆったりとしている。肌の色が様々で国際色豊かである。
しかし、五つ星とは思えないラフなスタイルの客も多い。彼らはほとんど中国人だ!

 
 

 

ボーイが2人、我々の荷物を台車に載せて案内してくれた。部屋は北館の12階。
こんな感じの部屋だ!大連賓館のツインよりはるかに狭い。
ベッドと壁の隙間が1mくらいしかないが、大連賓館は3mくらいある。

 

ボーイがなかなか帰ろうとせず、入口付近で突っ立っている。
中国は基本的にチップの制度はないので気にする事はない。
しかし、いつまでも立っているところを見ると、チップをやる客もあるのであろう。
「謝謝!別的没有了」と言ったら出て行った。

 

ホテルの窓から外を見る。
濱海路方向であるから向うに見える大道は多分「高爾基路」。手前の細い道は「五一路」か?。
高爾基路沿いの古式豊かな、風水住宅は将来どうなるのであろうか?
このような屋並は基本的に人間の生存に適していると思う。
ただ、便所や台所などの水回りが不衛生だ!
上下水道を改善すれば十分使用できる。
市当局に再考を促したい。

 
モータリーゼーション真っ只中の大連の、そのまた自動車ひしめく中山路から一筋入ったこの辺りは、
都会の喧騒を全く感じさせない、悠久の世界が広がっている。タイムスリップしたかのごとくである。
 
 
この屋並を文化財として保護することを重ねて市当局にお願いする。
 

雛さんが両替から帰ってきた。
5万円で3220元>0.0644元/円(15.528円/元)
昨年10月は15.9円/元であったから3%弱元安。

夕食の約束18:30にはまだ時間があるので、少し休憩。
16:30>途中寄り道して、ゆっくり昌隆まで歩いて出かけることにする。

表に出ると、色黒のボーイがカードのようなものをくれた。
中国語不案内の外国人向けに英語と日本語で書かれたタクシーガイダンスである。
買い物や遊びに出かけるときやホテルに帰る時にタクシーの運転手に見せるもの。

 
表面(ほぼ実物大の大きさ) 中面
 

ここで「主要な行き先」として登録されているのは7ヶ所である。

 
ホテルを出て、五四路と長春路の交差点で四方を撮影。
 
ホテル前の道路「長春路」>南方向
 
ホテル前の道路「長春路」>北方向
 
奥林匹克広場前の道路「五四路」>西方向
 
奥林匹克広場前の道路「五四路」>東方向
 
ウオルマートの東入口から労働公園電波塔方面の三角地帯の再開発がほぼ終っている。
向こうに見える背の高い2棟が「香洲花園酒店」で、我々が泊まったのは左側の北館である。
 
2003年5月>ほぼ同じ場所で撮った写真。
車も少なく、露店が商品を並べて、のどかな風景が広がっている。
 
5年後、このような風情は消えてしまった。道路は車でいっぱい、歩道は駐車の車が塞いで、
人が歩けない。市当局は駐車場の確保を最優先課題として検討するべきである。
 
 
しかし、広場は別世界だ!昔と変らぬ風景が広がる。
 
正面は大連市総合競技場。ここで過去2回サッカーを観戦した。
2001年>名古屋グランパスー大連実徳戦   2003年>清水エスパルスー大連実徳戦
 
 
片側3車線プラスバス優先路のバカ広い中山路を信号無視で渡る>みんなで渡れば恐くない(^レ^;
 

珠江路を通って、中山公園へ向う。
途中、団地「優豪斯」の一画にある、明日夕食を食べる「籠屋八兵衛」の前を通る(写真忘れた(^レ^;

 
中山公園は3年ぶりだ!久しぶりに定点観測します(^レ^;
真正面に見える頭が赤色のビルがホテル「香洲花園酒店」
 
いつものようにここから左方向にパノラマ写真を撮ります。
 
東方向>黄河路、大連駅
 
北方向>大連空港
 
 

今まで華宮のシンボルを撮影したことがなかった(^レ^;
今回は出口君がたくさん撮ったのでいただいた。

 
ここは案外知られていないが、建物の周りが古物古書の市場となっており、たくさん店がある。
 
 

夕日の華宮も素晴らしい

 
 

これから公園内を斜めに突っ切り、連合路に進む。
途中、公園中心部の広場(昔「孫文」像があった)で幸運があった。

それがこれだ!

 

楽譜があるのです。上に書かれているのは曲名でしょうか?「紅花?地開」

 
楽器の名前は解らないが、音は中国独特の響きがある。20数本の弦を直接バチで叩いて音を出す。喩えれば「鍵盤のないピアノ」?
これに合いの手として、横笛と唄、踊りが入る。
それではお聞きください。練習風景22秒(92KB)、セッション1分45秒(418KB)
 

しばらくは座って、歌っているが、

 

興が進むとじっとしておれず、いつのまにか踊っている(^O^)

 

楽しいものを見せてもらった。
大連ではこのような風景は春夏秋冬いたるところで繰り広げられている。
これは正しく、中国人の活力の源であろう。

 

中山公園から長興街に入り、「第七十九中学校」の前でまたまた現代中国の日常的風景を見た。
中国は一人っ子政策を続けている。従って、基本的に子供は一家に一人である。
この貴重な子供「金の卵」が退校するとき、校門の前にはたくさんの親が車で迎えに来る。

 

五四広場北のスラム街再開発が着々と進んでいるようだ。
右写真>建築場の安全防護壁に完成予定図が描かれている。
すごいビルが出来るものだ。しかし、看板に書かれた文字が達筆すぎて読めない!残念!

 
既に販売受付中で、派手な事務所も出来ている。
 
五四広場から建築現場を望む。ビルは既に10階くらいまで骨組みが出来ている。
 

 
昌隆で待つこと30分、大野君から電話「五一広場前で渋滞に巻き込まれ身動き取れない」。当たり前だ!この道は昨年10月も同じだった。香炉礁ジャンクション辺りはメチャクチャの混雑状態だった。
タクシーとマイカーの量が逆転して、圧倒的にマイカーが増えていた。

結局、約束時刻より30分遅れの19時に到着。部屋は予約してあった。

出席者は石垣君以外全員(石垣君は自宅の用事で帰国している)
稲垣君、秩父君のほか4月から駐在員に加わった、山田君(技術)と佐藤君(検査)の5人と私達の7人。写真を撮り忘れた。残念!

支払いは割勘(80元)とのことでがっかり。
100元出したらさらに追い討ちを掛けるように「釣りは要りませんね」だと!話にならない。先輩に対する尊敬の念が不足しているようだ。私の教育不足だと反省。
2次会を期待したが、大野君はせかせかと帰宅。我々は黄河路を歩いてホテルに帰る。

検査の寺沢君が大連に来ているようだ。奥さんが亡くなって、山本さんのように気楽に遊びに来ているらしい。旅順「龍王塘」の桜がまだ残っていることを楊さんにネットで調べてもらった。そこで、明日一緒に桜見物しないか誘う。本人OK。明日の待ち合わせ時間>ホテル9時00分。
タクシーを半日契約して一緒に旅順へ桜見物。

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2008年4月29日(火)AM>大連Aー1

朝7時起床。テレビでニュースを見る。オリンピックの聖火リレーがトップニュースだ!
エキゾチックな顔をした子供が聖火を持ち、小姐が顔を彩り、聖火リレーを声援する派手なキャンペーン。

   

みんな、心をひとつにして、聖火リレーを応援しよう!!

部屋を紹介しよう、こんな感じだ!
テレビは壁掛けタイプ、インターネット回線あり。テレビチャンネル53局

 

洗面所とシャワー室>シャワー室はガラス張りで、シャワーは大形の固定式でとても使い勝手がよい。
床には滑り防止用木製タイルが敷き詰めてある。

朝食は一端1階に降り、エスカレーターでM2F(中2階)の食堂へ上がる。
ワンフロアー全部が食堂になっており、レイアウトして、朝と昼と夜に分けているようだ。
朝食はバイキング方式(朝食券はチェックインのとき5日分もらっている)

メニューは
中国式>お粥、マントウ、揚げパン、ゆで卵、各種暖かい菜・・・珍しいものに蒸したサツマイモがある(結構女性に受けていた)

西洋式>飲み物(ジュース、ミルク、コーヒー)、パン、サラダ、スープ、肉料理、焼きそば、チャーハン、デザートなどなど普通である。

 

薄暗く、ジャングルに入ったような感じだ!柱を樹木に見立て、天井からは色とりどりの人口木々花が垂れ下がっている。
奥のほうに「日本料理」の暖簾が見える。寿司などの日本食も食べられるようだ。

 

隅のほうには恐竜の張りぼても置かれ、文字通り熱帯雨林の様相である。

 
エスカレータ下りの付近には大きな遊園地が作ってある。
子供を連れた家族でも、退屈した子供が遊べるようになっている。
 
打合せ通り、9時に寺沢君から部屋に電話あり。「いま下でコーヒー飲んでいる」と。

ホテル前に来たタクシーの運転手と交渉>12時までの3時間でHOW MATCH
ホテルのフロントには日本語のよく解る人がいない。
そこで、楊さんに電話して運転手と交渉してもらう。200元で成立。

星海から旅順南路で行く途中「海事大学」を過ぎたあたりからの軟件団地(ソフトパーク)が巨大化していた。実は、DELLなど主要なPC関連メーカのサポートセンタはここ大連にある。
我々が何気なしに電話しているサポートセンタは日本ではなくて、大連にあるのだ。
電話はフリーダイヤルであるから、お客さんは電話料金を気にすることはない。
サポート側も専用回線を設置すればイニシャルコストはかかるが、人件費の安い中国のほうが圧倒的に経費節減となる。

 
「龍王塘」に9:45着。
入口ではマイカーがひしめき合って入場券を買っている。
タクシーには係員が歩いてやってきていちいち車を降りなくても入場できる。
2001年来た時はこのような入場券は無かった(日本商工会主催であったからフリーパスだったかも?

 
裏面にはここ「桜花園」のほかにも水師営へ行く途中に「龍引泉森林園」があることを紹介している。
次回は水師営ともども行ってみよう!

 

タクシーの入場料は5元。

 

駐車場は入口付近は一杯のため、一番奥(ダム付近)へ。観光バスも多い。

2001年5月にあった白木蓮の木が消えていた。
この老木は1926年東京から苗木を持ってきて植えたもの。
 
以下3枚は2001年の写真 老木「竹木」は今でも元気であった。

ソメイヨシノは散っていたが、モモと八重桜が満開であった。

 

 

寺沢君と記念写真(バックはモモの木)

 

これだ!

 

近くに幼稚園児が保母さんと一緒に記念写真撮っていた。

アップするとよく解る。子供達が限りなく贅沢な生活をしていることが。

親は周りでしきりにビデオカメラを回している。いずこも同じではある(^レ^; ダムを望むと、ひとひとひとの群れだ!
 
これから右側の階段を上り、右の大橋を渡り、左側のダムへ進む。
右の大橋は幅1.5mくらいで、足元は木の板が敷いてある。
この板がところどころ穴が開いており、覗き込んでは肝を冷やしていた。
 
ダムの上から水路(駐車場)を望む。タクシー車は青い屋根の向こうの白い車だ。
手前の池は釣堀とのこと。(2001年には無かった)商売第一の国民性がありありだ!
 
ダム中央部の記念碑
 
2001年のときはまだ手入れされていなかった。が、今は碑文が朱色に塗ってある。


2001年

   
両側には建設の概要が記された石碑が取り付いた。

 

ダムを渡り、反対側に着くと、露店がズラッと並んでいる。商売商売(^O^)
 
ここはすべて木製、竹製のオモチャ
 
ここはアクセサリー類
 
椰子の実の殻や、木製の普通のコケシ類
 
反対側からダムを望む。右の赤いトンガリ屋根は休憩所。
 
狭い通路にはこれからも延々と露店が続く。今朝裏山で採ってきた山菜も立派な商品だ!
と、若者がなにやら一心に手を動かして作っている。
黄緑色の竹のような薄く削いだ素材を器用に織り成して、龍や蛇や昆虫を作る。
 
これは見事だ!蛇年にちなんで目の前にある蛇を買う15元(寺沢君は龍を買う)
 

地境の囲い壁に大きな壁画が描かれている。2001年来たときちょうど書いていたところであった。
それから7年が経過している。いったい何回書き直したか解らないが、ずっと続いていることに喜びを感じた。
今回のテーマは孔子の逸話のようであった。

 
下に降りると、これまた露店がいっぱい(^O^)
左下は金属アクセサリー、右は輪投げ。
 
アクセサリー1個10元(昔、私も買ってみたが、
メッキの質が悪く、汗で溶け出し、かぶれた覚えあり)
輪投げもかなり難しそうだ!
四角い商品を丸い輪でスッポリ囲む事は至難の業だ!
この青年はとても苦労している。
 
赤白さまざまな桜が競っている。人の服装はまだまだ黒っぽい。
 
ここでも物売りがいる。懐かしい綿菓子はこのような場所での定番だ!
その隣の発泡スチロールの箱には茹でたトーモロコシが入っている。
 
こちらでは革製品を売っている。女の子が財布を品定めしている。
皮の真贋、縫い方など徹底的に調べている。
 
噴水の前で記念写真
 
これでグルット桜花園を見て回った。あとはダム放水路の土手を通って駐車場に戻る。
 
10:50花見終了。
帰路、お寺に立ち寄った。
運転手の機転だと思うが、歩き疲れた足で長い階段を登る元気なし。
途中で引き返す。寺の名前も不知道。
 
正面に大きな金色の観音像
 
この下は人工湖のようだ?向こうに湖畔公園がある。
 
今、来た方向。

 

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 2008年4月29日(火)PM>大連Aー2

お昼は出口君の希望で駅前の渤海明珠30Fの展望レストランへ。11:50勝利広場着。
寺沢君も誘ったが、予定があるということで、勝利広場タクシー乗り場で分かれる。
(彼女と待合せであろうか?(^O^)

旅順方向からは友好広場をUターンしなければならないが、広場にUターン専用路ができたので、ロータリーを回らなくても良くなった。

昼食>渤海明珠30Fの展望レストランで自助餐(バイキング)
昨年10月は生ビール飲み放題@58元であったが、今年は生ビール抜きで@38元。
生ビールは@6元別売だった。愉快な出来事>生ビールを一人3杯合計6杯注文。
ただし、杯を飲み干したらその都度、1杯ずつ持ってくるように要求したが通じず、 6杯全部持ってきた。チャハー!

霞みかかった空のため見通しは今一ではあったが、まずまず満足。
30階から見る久しぶりの勝利広場。何かイベントをやっている。

イベントは消防隊競技であった。

 

 

 

いつもの通り、グルット駅前を見渡す。ガラス越しのためハレーションするのが残念だ!

労働公園方向

星海広場方向

興工街方向(正面の電子城跡地に高層ビル建設中!)

駅前交差点、駐車場

 

路上横断は禁止された筈なのに、依然として歩いている人がいる。
昨年、10月には一大キャンペーンが行われていたが、当局も諦めたか?
水色の三輪タクシーも増え、マイカーも増え、長江路はごった返している。
左側は一日観光と遠方行き(瓦房店、瀋陽など)の大型バスの停車場だ!

その観光バスの停車場に真っ赤なサンルーフ付き小型車が停まっていた。
エンブレムは「GS」とある。国産車か?輸入車か?

 

ダッシュボードに地図をおいて駅前をうろうろしているところを見ると、地元の人間ではなさそう。
両肩からかけているベルトのようなものはシートベルト?変わっている!
日本でも見かけない設計だ!

 

 
勝利広場横のビル角でレンガを積んでいた。
花壇のようでもあるが、ひょっとしてお店かもしれない。いや多分商店だ。
商売第一のお国柄、このような一等地を優雅に花壇なんて、それこそ「もったいない」
作業中のお兄さんににらまれてしまった。クワバラクワバラ(^レ^;
 

 
散歩方々、マイカルーの地下スーパーで買い物。
寝酒の白酒(金六福50元)、つまみとして昨年同様ゲソ焼きとスルメ2個(45元)
花見で疲れたのでタクシーでホテルに帰る。シャワーを浴び、着替えて休息。

旅順の桜花園で買ったシュロの葉で作った「蛇」を洗面所の石鹸入れに水を湛えて置く。
少しでも乾燥から守り、出来るだけ青い状態で日本へ持って行きたい。

 

 
15:00、夕食(籠屋八兵衛)までにはまだ時間がある。
そこで、港湾広場の「古玩城」へタクシーで。

昨年10月にはあった店2軒(麻刺繍クロス・カバーの王振清さん、大連文物総店)がなくなっていた。代りに虎を描かせたら中国一と豪語する中永氏の店があった。

 
ここで奥さんのお土産購入>落款印<戌を彫った篆刻の石に昔の雅号「幽雪」を彫ってもらう。
@150元(3cm角) もちろん出口君も注文した。が、中永師は彫る文字を裏書しないで直接彫りだしたから、さすがの出口君もビックリ!
 
大丈夫かな?と、心配していたがスイスイと彫り始めた。字体も適当に決めている。
しかし、出来栄えはやはりというべきか雑であった。が、彼は帰ってからこれを削り取り、また彫ればよいと気にしない。
もともと彫り賃はサービスである。我々も石を買ったわけで、彫った文字は不要である。
 
 

彫っている間、撮影禁止と注意書きされた虎の画をこっそり撮影する。この画は20万元くらいだった。ほかの画もかなりの高額である。

 
自己紹介
 
ほかに目に付いたもの>老人がお茶を飲みながら将棋を指している画
 
落款が完成した。(2個製作で約30分くらい)
石の外観 彫った文字
 
お金を払って帰ろうとすると、たくさんぶら下がった軸を指差して、「どうか」と言った。
「好きなものを1本やる」と理解したが、勘違いだった。
200元というので要らないといったが、結局100元で買う。
 
出口君は「和」、私は「如心」>造語のようで、広辞苑や中国語辞典でも見ない。如は如法、如来、如是などがある。 よくよく見ると相当のクセ字だ。奥さんも一瞥しただけだった(^レ^;、でも、この書が軸にされて100元(1600円)だ!安い!

 

 

 

 
歩いて、もう一軒。ホテル冨麗華裏の大連工芸品交易市場へ。
昨年、出口君が落款印買った店、入口正面の「匯寶齋工藝精品行」に寄る。
お上が出てきて歓迎してくれる。

私は隣の「大連金鵬篆刻工藝美術品」落款店(若い女性店主)と雑談。
古玩城の王さんが店仕舞いしたことを思いながら、彼女に頑張っていますねと激励。
あまり客が来ないようなので、「売れますか?」と質問すると、
「月の売り上げは約8000元」という。結構売れている。

日本で判子作ると安いものでも5000円位するが、ここでは500円くらい。
お土産としてかなり売れるようだ。
昨年、刺繍の絵画を買った(1000元)が、この店はまだ健在だった。
私の顔を覚えていてくれた。同じような刺繍画がたくさん増えている。
結構人気があるようだ。

 
歩いて中山広場へ>発見あり。

トンガリ屋根の茶色い建物(保護建築物でなくなった)正面にcitibankの看板。
ひょっとして悪名高きアメリカ資本の「CityBank」か?はたまた偽者会社か?
BANKであるから銀行ではある?
 

ロゴをよくよく見ると、 本物のようだ!

 

 
タクシーでホテルへ。休憩
 
夕食のため、焼肉店「籠屋八兵衛」(優豪斯店you1hao2si1)へ歩いていく。
楊さん王さんとの約束は18:00だ。

この店はずっと前から知ってはいたが、入ったことがない。
焼肉店はほかにもいっぱいあり、私にも既になじみの店があり、よそに出かける必要がなかった。この店にお邪魔するきっかけは、実は奥さんからのメールでした。

ネットサーフィンしていた奥さんが偶然、私の「大連リポート」を見て、メールをいただいたのが3月でした。
今まで店の近くの奥林匹克広場あたりに住んでみえたが、2004年私が帰国する少し前頃に五四広場近くに引っ越してこられた。私のHPには五四広場周辺のリポートがたくさんあります。
8年前の五四広場周辺の写真を見て、その変り様に驚いてメールしたとありました。

このメールで、ご主人が籠屋八兵衛の店長さんであることを知り、訪問することにしました。最近は大連在住の日本人の友人が減っています。このような知人が増える事は大歓迎です。これでまた大連に来る楽しみが増えるからです。ただ残念なことに急に日本で法事ができて、奥さんは日本に帰っているとのことで、お会いできません。

店に入って、階段をずっと上がり、確か3階が座敷だったように記憶している。
つまり、店は上に細長い感じです。店員は日本語が出来る。

私が来た事情を説明し、店長にお会いしたいとお願いする。
お客さんの注文を処理しているようで、店長はなかなかみえない。

少し遅れて、楊さんと王さんがやってきた。
再会を喜びあっていると、店長がやってきた。挨拶したあと、強引に記念写真を撮らせてもらった。
背は私より高く、なかなかのハンサムボーイです。奥さんも大変でしょう(^レ^;

干支は私と同じ巳年。ただし、ひとまわり若い。

焼肉焼く熱で暑くてあつくてたまりません。汗ビッショリ!

 
ほかのお客さんがいなくなっても構わず、9時過ぎまで2時間半、食べて、しゃべって本当に疲れました。半年振りに逢ったのですからいたし方ありません。
また、楊さんは3ヶ月の身持ちですから今までのように世話をかける訳にはいきません。
この後、会えるのは5月2日の大連最後の夜だけです。

「籠屋八兵衛」の献立と料金>合計460元(@115元)<日本料理店並み

@ 八兵衛セット(肉と野菜3人前)>1セット:230元
A
土豆沙拉(ポテトサラダ)tu3dou4sha1la1>1皿:30元
B 蘑亦g沙拉(キノコサラダ)
mo2-gu nuan3sha-la1
   >1皿:30元(
moは草冠に磨、guは草冠に姑)
C ししゃも>1皿:20元
D ダンプフルーツジュース>2杯:@30元=60元
E アサヒスーパードライ(瓶)>6本:@15元=90元

お釣が洒落た袋に入ってきた。これだ!

 
今日はここで2人と分かれる。明日、30日は開発区、明後日1日(労働節)は楊さん王さんともに終日、家族団らん。 従って、二人と食事できるのは2日のみ、大野君と5人でどこかで食事する予定。
 

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2008年4月30日(水)>大連B

朝7時、ホテルの窓から外を眺める。スモッグで100m先が見えない。
昨日は200mであったから更に視界が悪化している。
今日は終日、ドンヨリとした黄色の天気だ!
黄砂が降っているのか??
 
9:00潘君がホテルまで迎えに来る約束であったが、昨日、来客のため行けなくなったと電話あり。
私との約束を反故にしてまでとは余程のお客さんであろう?

ただ中国人は相手を値踏みする生活習慣がある。
例えば、失礼なことをしても相手が怒らなければ、その相手に対する態度が横柄になる。つまり、馬鹿にするわけである。相手が無視し続ければ、ドンドン馬鹿にする。

今回の件では大いにカチンときたが、ここは我慢して潘君がどのような態度に出るか確認することにした。金石灘行きの快速電車に乗り「保税区駅」で下りる。ここへ潘君が迎えに来る予定であったが、駅まで遠いので、タクシーで直接潘君の会社まで行った。

料金は80元契約であったが保税区から更に15分くらい奥に入ったので、運ちゃんは文句言ってきた。そこで、20元追加してやった。

私達がタクシーから降りると守衛が出てきて事務所の方向を指差した。
守衛に挨拶していると、潘君がやってきた。
しかし、迎えの約束を違えた事の詫びは無かった。

中国人は欧米人と同様、間違いを即座に謝罪するという国民ではない。
「死不認錯」
si4bu4ren4cuo4
すなわち、死んでも間違いを認めない社会なのである。

ま、私達が来ることを守衛が知っていただけで良しとするか!(*_*)

会議室で劉永義社長にご挨拶。なかなか愛想の良い方だ。
一代で100人近くの会社にまで成長させた。既に分厚い総合カタログがある。
見ると、写真はすべて他社(前の会社)のカタログを転載している。
中には生産能力の無いものまで載せてある。(潘君は全部生産できるというが?)

これが中国だ!と言ってしまえばそれまでであるが、いかにも節操がない。
恥ずかしがらずに堂々とこれを出してくるところが、なんとも腹立たしい。

タクシーで来る道すがら多くの同業会社が目に付いた。あとで潘君に聞くとこの周辺には20社くらいあるという。人材はというと、潘君のような人間(日本の技術を習得した技能技術者)が高い給料を求めて、次々と競合会社を渡り歩いている。

名刺には技術部長となっている。咋年10月は製造副部長であったが、半年でそれまで無かった「技術部」を作り、長になっている。(スタッフ4、5人)
潘君は設計はできないが、他社の図面をコピーする事は簡単だ!
または、CADの元図でも裏ルートでどこからでも手に入る。ソフトはAutoCADだった。

現場を一通り見る。旋盤、フライス、熱処理、ロー付け、研磨、検査まで一貫生産できる体制にはなっている。

どんな製品でも同じであるが、日本のように各分野の専門業者(協力工場)が充実している社会では自社にない技能技術は他社に依存できる。しかし、そのような体制が未整備の中国では、なんでもかんでも自社で作るしかなく、必然的に他社に頼らない「一貫生産体制」が基本となる。

マシニングセンターはすべて日本製(OKK)、刃付け用CNC工具研削盤もワルター、エバーグ、マキノなど多彩だ。マキノはどこからもってきたのか使い方が解らず、困っていた。マキノのサービス料は法外だから簡単には頼めない。私にできるかと尋ねるので「皆目無知」と答える。

検査設備はまだまだ不十分だ!
私が材料分析もできるレーザ顕微鏡を勧めると、社長は是非内容を教えて欲しいという。
あとでメールすると答える。

昼食をご馳走になる。潘君の車で開発区の中心街まで移動。
昨年1500ccだった車が、2000ccに上がっている。

例によって山盛中華料理に昼間から白酒である。
当然ながら、料理はたくさん余った。しかし、持ち帰った。これは昔とは大きな違いだ。

 
赤い顔して会社の正門前で記念写真。
 
この後、近くにある日本独資の会社を見学。
 

ここには昔一緒に仕事した山本さんが工場顧問として勤務している。
彼は機械のトラブル処置に長けているので、なくてはならない人材だ。
一貫生産のネックは「工場管理」にあり、実現のキーワードは「優れた工場長」にある。
この会社は適材を適所に配置していると思う。

昨日今日とゴルフコンペで多忙とのこと。
大連進出日本企業間の懇親会も社長と二人三脚で処理しているようだ。

夕食を山本さんの住んでいるマンションの1階にある「花月」で馳走になる。
花月とは奇遇である。博愛大厦の2階にあった「花月」と同じ店であることが判明。
日本語ペラペラの女社長に久しぶりに面会。開発区のほうが出店は早かったようだ。
大連店は数年前に閉めている(現在は同じく日本料理店「阿房宮」になった)

 
同じ席に、昨年10月一緒に大連で四川料理を食べた
若手駐在員2人(製造部長と品証部長)もきてくれた。
 
我々は山本さんの案内でスナック「百度」へ。3人で700元(山本さん支払い)
 
その後、近くのカウンターバー「ラウンジ秀吉」へ。マスターは大阪出身で同年の巳年。
大連駐在中、奥さん死亡。退職金で静かにゆっくり休める酒場を目的にバーを設立。
1時間くらいおしゃべりして300元(@100元)
 

今日は山本さんに1000元使わせてしまった。会うという予定をしていなかったのでお土産は持ってこなかった。申し訳ないことだった。次回訪問時にはたくさんお土産用意しよう(^O^)

山本さんといい、この人といい、寺沢君といい、大連を知っている人は「落着ける町」、
「生活費のかからない町」、「余生を気ままに過ごせる町」、として大いに魅力ある町のようだ。

帰路>タクシー。ホテル着午前様
出口君がシャワー浴びている間に私はバタンキュー。 寝つきの速さに彼はびっくり。

2008年5月1日(水)>大連C

今日も終日、曇天。視界は同様にして悪し。肌寒さを感じる。
 
今日は夕食を王安隆さんと食べる約束をしているだけで、ほかに予定は何もない。
そこで、ゆっくりと労働節の大連を堪能しようと街を歩くことにした。
幸いなことに涼しいので、出口君も汗をかくことが少ないと思う。

ホテルで3万円兌換>レート0.0648元/円(15.434円/元)

 

それでは出発!

 

 

9:30>人民広場<凧揚げ見物>天気はこんな具合だ!
芝生に入って凧を揚げている人をお巡りさんが追い払っている。
広い人民広場を一人では無理!それでも東奔西走「出ろ!出ろ!」と、叫び続ける。

 
 
 
高爾基路交差点までの中山路沿いは1年以上前から再開発中だ。
工事現場の仕切り壁面には派手な宣伝看板がたくさんある。
ここに金石灘の遊園地「発見公園」の広告があった。
 
WEBサイト(www.discoveryland.cn)にアクセスしてみた。なんとなくディズニーランドっぽい(^レ^;
サイトではこの遊園地がグルグル動くのです。是非、アクセスしてご覧ください。

ここで面白い光景を見ることが出来た。生垣からチョロチョロと動くものがある。
 
ネズミだ!芝生の上の何かを食べている。ここはバス停前だ。
食べ物のカスのようだ。よく見ると人間が吐いたゲロのようだ。
 
近づくとさっと、うしろ生垣に逃げる。どうやらここが住いのようです。

 

 

森ビル裏の大連市錦華日本文化街へ。森ビル側は全部壊され、高層ビル建設中だ。
反対側はまだ「大連大名」ほか日式スナックが並んでいたが、だいぶ移転したようだ。
 
大名側から 反対側から

 

 
 
 

と突然、左側からシルバーグレーの三輪自動車がやってきた。これだー!
立派に4ドア。ナンバープレートはどこにあるの??

 
更に歩いて中山路沿いの元「裕景商城」別名「電脳城」前を通る。ここも壊され高層ビルの建設中だ!

 

地下道に入り楊さんの店(天后站)の後がどうなっているか確認。
当然とはいえ別の店(衣料品店だった)。写真撮ってくれば良かった(^レ^;

地下道を歩いていたが、あまりの人ごみに気分が悪くなってきた。
これなら外のほうがまだ増しかも(^O^)
そこで外に出たが、同じようなものであった。(^レ^;

ここら一帯はスラム街のような雑多な店が並んだ商城である。
商店街のその奥には不衛生極まりない住居が密集しており、発展する大連とは対照的である。

 
 
 

いつもの海鮮乾物店でホタテ貝柱物色。別の乾物店では日本産のホタテ貝柱を売っていた。
最近の毒入り餃子事件で中国産では売れないので日本産を偽っているのか?
ただ価格は一斤辺り100元ほど高い。

 勝利広場でこれまた珍しい光景を見る。
ベンチに腰掛けている人が何も敷いていないのだ!

今までは野外のベンチなどに腰掛けるとき、ほとんどの人が新聞紙などを敷いて座った。
従って、外出するときは一人一人、自分用の敷物を持参している。
街が綺麗になってきたので、その必要がなくなったようだ。
昔は紙くずや食べ散らかしやレジ袋などが散らかっており、汚かった。

が、今は写真の通り、ゴミひとつ落ちていない。 公衆道徳が着々と向上しているようだ(^O^)

天津街入口にいつの間にか大きな門柱ができた。
ただ、柱の基礎部分を見ると単に置いてあるだけのように見える。
こんなんで大丈夫??地震がきたらひとたまりもない。 建築基準も何もないのでは。
恐ろしや〜〜(^レ^;

 
天津街は相変わらずの賑わいを見せている。
ただ、この通りは風が吹き抜けるので、冬はとても寒い。
今日は風薫る5月の初日だが、とても寒い。 店員は完全防具の体勢だ。
 
 
 
ここでガスライター4個、オイルマッチ2個購入(85元)>お土産にする。
どれもこれも、中国ならではの奇抜なデザインだ。
 
オイルマッチの原理
 
金属製のマッチ棒>先端にオイルを含浸させた着火部
オイル収納箱>端面に帯状のヤスリ部
マッチ棒の先端を箱の端面のヤスリ部に当てて強くこすると摩擦で点火する。
 
中山広場から魯迅路を通り、鉄路文化宮へ。
 

中山広場でミニパトカー発見(アチコチでよく見かけるようになった)
ただ、誰も乗っておらず。広場のロータリーで堂々と停車していた(^レ^;

元、大連日報社跡地の工事現場は一向に進展を見せない。
いったい何を作っているのだろうか?

 
世紀路方向>左側に高層ビルが出来てきた。

ここの入り口扉には昨年(国慶節)、演芸(漫才と曲芸)の案内看板があった。
開演時間(毎日19:30から21:30までの2時間)も同じであるから、どうやら継続しているようだ。

劇場から大勢の若者が出てきた。なんだろう??

 
 
家楽福で買い物
 

白酒2本(五粮醇wuliangchun)@88x2本=176元―30元(特値引き)=146元
名刺入れ(縦長タイプ)2個(@10元、@12元)

歩き疲れた>家楽福内の肯徳基で休憩>コーヒーとピリ辛バーグ

 
市電を待つとき、道路向こうに住宅修理屋さんが道沿いに並んでいた。
お客が来ないのかみんなトランプ賭博などやって時間をつぶしている。
 
ギロっと睨まれてしまった。恐い恐い! 路肩に赤字の看板が立てかけてある。
これは、それぞれの専門分野を表しているが、内容はよく解らない。
看板の一番上の2文字(zhuan1ye4)は簡体字のため日本語にはないが、日本語では「専業」と書く。
 
市電に乗って大連駅へ。
 
いつもの乾物屋でホタテ貝柱購入>500g285元を私3個、出口君1個計4個ということで260元に負けさせる。 260元x3個=780元
 
タクシーでホテル帰宅>しばし休憩
 
17:00>王安隆さん宅訪問
場所は萬達飯店付近のマンション。部屋は角のためとても明るい。
熱帯魚の動画をウエブ上でオンライン中継(無料)>プロバイダー:www.stickman.jp
王さんサイト>www.stickman.jp/profile/qicaiyan
 
熱帯魚をカメラで撮影し、リアルタイムに配信するシステム

夕食は王さんがセットした四川料理店「巴国布衣」

 
もちろん王さんの奥さんも来たが、今回は友人が一人増えた。
この人は3年前西尾から大連にやってきた王さんの友人。

王さんの奥さん以外、男ども4人は汗を拭き拭き、辛い辛いと言いながら楽しく食べた。
いつもの余興、百変化の「団年宴」は女性演者に変った。なかなか鮮やかであった。

いつも2次会に行こうと約束していたが、いつも奥さんが付いて来るので、なかなか王さんも決断できない。 今回は友人が一緒なので、奥さんにも了解が取れたらしい。
店は友人の行きつけのようだった。 焼酎いいちこ2本空にして1700元(4人)割勘で@400元

とりあえずホテルに戻ったが、出口君が足が疲れたというので、マッサージをフロントに尋ねた。 しかし、そのようなマッサージ室はなく、部屋への出張マッサージだというので断った。 ここから近いところで知っているのは五四広場の「良子」だ!

前回全身マッサージで懲りているので、今回は足だけにした。30分50元 マッサージ師は若い男だ!私は水虫があるので気の毒ではある。 そこでチップ20元渡す。今日もまた午前様になってしまった。 2日連続で午前様だ!疲れが溜まっている。

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2008年5月2日(金)>大連D

今日も終日、曇天。視界は同様にして悪く、肌寒い。
大連に来て好天は2日目の旅順花見だけであった。
 
連日の午前様で私は疲れ気味。昨夜は腹が張って、何度もトイレに起きたが、出るものが出なくて苦しい。 朝食もほとんど食べれない。腹が張って気持ちが悪い。
いつも大きいトイレがしたい感じだが、出ない。 幸い、出口君は元気だ!良かった(^O^)
 
10:00>駐在員マンションから五四広場と西安路周辺の写真撮影のためホテル出発。
五四路から連合路を経由し、黄河路から昨夜行った足マッサージ「良子」の前を通る。
 
 

目前が五四広場。左奥の高いビルが5階建てデパート百盛の上に継ぎ足した新築マンション。中央部の茶色いビルが天河公寓

大野君は買い物中で、しばらくマンションロビーで待つ。しばらくして秩父君と現れる。
大野君新住居「百盛」の24Fへ。マンション見学>ワンルームで、天河公寓より圧倒的に狭い。
単身赴任ならこれで十分だが、価格はずっと高い。こちらには大野君と佐藤君の2部屋がある。

記念にここからの眺めを写真に納める。西安路に近いので、商業城が真下に見える。
スモッグがかかり、見通しは悪い。この先が星海である。

長興市場も真下だ!山の向こうは旅順である。
 

 
 
 
 
貴重な写真を撮らせてもらった。感謝!感謝!

天河公寓へ。秩父君部屋13Fから元スラム街の建設風景撮影。
既にかなり進行している。入居申込事務所が五四広場横の元聾唖学校跡地にある。
この聾唖学校はどこえ行ってしまったのであろうか?

 
 
 
右端に見えるビルが百盛のマンション

聖金広場

 
依然としてお腹が張っている。秩父君のトイレでウンチする。少し出た。
秩父君がキャベジン8錠くれた(1回2錠)。いまだかって胃薬を飲んだ記憶が無い。
しかし、今の体調は極めて悪い。格好つけていてもしょうがない、有り難くいただく。
 

気分は最悪であったが、ここまで来て帰るわけにはいかない。
前回行かなかった星海広場の貝殻博物館へ行くためタクシーに乗った。
この建物を建設中の2002年5月、
私はラブホテルかと思った(^レ^;
名前は「シャトー星海」(@_@)

 
結婚記念写真を撮っているカップル多し。記念写真に10万円以上使うそうです。 なかなかの美人でした。
 

手前の楕円形の建造物は螺旋状の通路が見える。多分立体駐車場であろう。
星海広場には駐車場がない。今まではマイカーが少ないので、広い歩道に駐車できた。
しかし、急激なモータリーゼーションで車があふれ、駐車場は都市計画において必須となった。

それにしても星海周辺のマンションラッシュは尋常ではない。
不動産投機は依然として続いているようである。が、いつまで続くのであろう?

貝殻博物館入場

博物館では体調最悪。冷房の効いた寒い館内のベンチでずっと座ったまま過ごす。

出口君に私の体調を話し、ホテルに帰る。昼食抜きで午後はずっとベッドに横たわり休む。
出口君もしょうがなく一緒に寝ている。
が、しばらくして鼾(いびき)が聞こえる。彼も疲れているようだ。

今日は大野君と最後の晩餐を予定していたが、彼から連絡が無い。
何度もこちらから電話するが用事があるようで、食事時間が決まらない。
王さんと楊さんには少し待つようお願い。

夜8時頃大野君から電話あり。
西安路マイカルー隣のショッピングモール内の食堂「千日賀」に決まる。

王さんと楊さんに連絡し、現地で落ち合うことにする。

我々はホテルからタクシーで行ったが、食堂が解らず困惑。
電話で話しながら、探し回って千日賀に着いた。
私はまだ食欲がないので食べない。出口君はさすがに腹が減ったようだ。

ここで、中部空港で買った、携帯電話に貼る「蒔絵シール」をプレゼント。

大野君は「パンダ」、楊さんは「花」と彼氏に「ドクロ」、王さんは「鶴」
楊さんと王さんはウエートレスにハサミを借り、早速貼っっている。
この土産は評判がよかったようだ(^O^)。次回も別の蒔絵を選んで持っていこう。

 その後、五四広場の上島コーヒー店でお茶を飲む。
少しお腹が良くなってきた(142元私が払う)

 この後、大野君とはここで別れ、4人は楊さんを自宅に送り、ホテルに帰る。
タクシー代は王さんが払った(約50元)

早めに就寝した。
その夜もトイレに3回ほど起きたが、だいぶ中味も出尽くし、 シャブシャブのウンチになってきた。
 明日は良くなっていることを期待したい。

今日は私の体調不良で半日、棒にした。 出口君には申し訳ないことをしてしまった。
明日は広州。早く元気にならなければ旅の楽しさも半減だ!

続いて、5月3日からの広州を見る 

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