大連の春節 2009

昨年は5月のGWに友人と、大連と広州を訪問した。
秋季にも訪問する予定であったが、原油価格の高騰(バレル100ドル超え)で、
運賃にサーチャージ(燃油特別付加運賃)が加算され、航空料金がびっくりするほど高くなり、断念した。(2008年5月は15,210円だったが、2万円超えた)

ところで、中国国家は昨年、四川大地震、北京オリンピックと物入りでした。
その後、リーマンショックで世界的金融恐慌が吹き荒れ、10月以降は日本も中国も甚大な影響を受け、修復時期がいつになるのかも不透明な状態になっている。

外資の中国離れは加速化しており、大連の合弁会社もいよいよ人員整理に踏み切ったようです。今回訪問の目的は、このような厳しい環境下、異国で活躍している駐在員諸君を励ますためでもあります。

混沌とした状態がいつまで続くか?皆目、見当がつかない。
行くなら早い方が良いと決心した。
また、昨年5月の労働節に一緒に行った友人に、すさまじい爆竹と花火の中国旧正月「春節」を体験させたいと考え、誘ったところ大いなる賛同を得たのでありました。

原油価格は年明けて、バレル60ドル代まで急落し、落ち着いた。が、運賃への反映は半年くらいずれるため、まだまだ、燃油サーチャージの引き下げは先になりそうだ!
航空会社各社は、4月頃からのサーチャージの引き下げを発表した。下げ率は80%以上、行き先によってはゼロになるようだ。
大連行きでいつも利用する中国南方航空も4月から6000円が500円になる(^O^)

日程は1月22日(木)から1月29日(木)までの1週間。
(春節は1月26日)

昨年の中国は建国60周年を控え、気合いの入った年だった。
しかし、この意気込みも、いろいろな場面で空振りに終わった。

すなわち、年初から大騒ぎになった「メタミドホス冷凍餃子」事件、その後に中国食品の恐ろしさを見せつけた「メラミン粉ミルク」事件。汚染は食品だけでなく、オモチャ(鉛汚染)や家具(カビ)など多くの商品に波及し、世界を震撼させた。

気の毒なのは5月の四川大地震である。原因は専門家によりいろいろ研究されているが、国家の対応の悪さは否めない。被災者の救済と生活の復興を1日も早く実現して欲しい。
(それにしても、世界中からの莫大な救援物資、義援金は、どうなった?)

8月の北京オリンピックは、内容に一部?疑問があるものの、今の中国を世界に発信した素晴らしいイベントであった。ただ、オリンピック開催のために中国の良き文化がかなり犠牲になったことが残念であった。

好調な中国経済に冷水を浴びせたのは、サブプライムローン(米低所得者向け高金利住宅ローン)の破綻による金融不安から波及したリーマンショックであった。サブプライムローン問題は中国のみならず、世界経済を大混乱させ、つづいて原油高騰、株価下落で世界恐慌を呈してきた。

12月10日、国連の「世界人権宣言」60周年に中国知識人300人余りが「共産党一党独裁体制の撤廃」、「言論の自由」を求める「08憲章」をインターネットで発表した。中国は今後、経済の改革開放運動だけでなく、民主化運動も着実に進んでいくものと思われる。

中国は政治、経済、社会に多くの問題を抱かえている。
特に経済面では改革開放政策で飛躍的に経済発展したが、繁栄を享受できる者と、できない者との格差が際立ってきた。さらに、経済成長最優先が人民の生活圏を脅かす環境汚染問題、成長から置いて行かれた人民の不満、などなど社会不安は増大するばかりである。

従来、陳情や抗議デモは内陸部(農村地域)に多発し、地方政府の対応が悪い場合は直接、北京中央政府に直訴している。(民族問題、三農問題、公害問題、汚職問題、・・・・)
最近はこれが、中国経済成長の原動力となっている沿岸部に拡大している。格差問題は「農村と都市」だけでなく、都市内部にも起りはじめているのである。

私は、中国で起こっている多くの問題の根底にあるのは、「不公平感」だと思う。
政治のあり方、経済のあり方、社会のあり方、などなど、国家のあり方について国民の「不公平感」を取り除くことが最も大切なことではないだろうか。

<参考>
今年は中国にとって、硬軟取り混ぜた(^レ^;、記念日の多い年である。

発生月別に列記する。
@ チベット蜂起50周年(1959.3.10)
A チベット動乱1周年(2008.3.14)
B 五四運動90周年(1919.5.4)
C 四川大地震1周年(2008.5.12)
D 六四天安門事件20周年(1989.6.4)
E 法輪功弾圧開始10周年(1999.7.22)
F 中華人民共和国建国60周年(1949.10.1)
(中国共産党政権成立ー1921.7.23)

 

まずは春節前後の航空券をネット「アルキカタドットコム」で調査。22日出発と決めたのは23日から運賃が5000円高くなっているからであった。 (22日;33000円)
ただ、出発便の航空会社は未定だったので不安ではあった。
もし大連直行便としたら、信じられないくらいの安さだ(^O^)

早速、見積依頼した。
回答は、なんと43000円と1万円高い。しかも「大韓航空」で、インチョン経由だ。
看板の偽り(1万円UP)に腹が立ち、前回世話になった業者にも問い合わせしたところ、2案出てきた(どちらも中国南方航空)

第1案>名古屋/大連往復便>68,920円
第2案>名古屋/上海(浦東)/大連往復便>54,600円

上海経由はさすがに安いが、往復ともほぼ1日かかってしまう。
上海での乗継時間は約4時間。これでは町まで遊びに行くこともできない。
かと言って、上海浦東空港で4時間時間をつぶすのもしんどい。友人も賛同してくれたので、第1案の大連直行便に決定。

チケットは前回同様、航空会社発行の「Eチケット」であった。
これは、リコンファームが不要なので助かる。
特に春節など大型のお休みでは、航空会社も当直だけしか出勤していないので、日本語の解る担当者がおれば問題ないが、居なければ、中国語でまくし立てられても理解できない。

〔航空運賃〕
1、航空券>名古屋ー大連、往復<52,500円
2、空港税>中部空港2,500円、現地空港1,180円<3,680円
3、燃料付加費>12,740円
合計>68,920円

<大連訪問の目的>

1、楊さんの長氏誕生をお祝いする。
  昨年10月、大事にし過ぎて4.1Kgで生まれ、
  スクスクと育った、3か月の「劉科言」君に会います。

  科言君には取って置きのプレゼントがあります。
  我が奥さんが真心込めて作った、シャドーボックスアートの
  「鯉のぼり」です。
  この裏面に私から科言君へのメッセージを書き込みました。
  ただし、メッセージは日本語です。
  大きくなったら読んで欲しいと思います(^O^)

2、大連駐在員の慰労
  半年前には予測もつかなかった未曾有の経済危機に直面
  し、経営戦略の見直しを迫られているみんなに希望を与える

 

旅程を以下のように決定し、楊さんと王さんおよび大連駐在員
に連絡し、具体的な面会予定をメールで打合せした。

1月22日(木) 中部空港発12:15(中国南方航空:CZ620)
          大連着13:45(現地時間)

1月29日(木) 大連発08:05(中国南方航空:CZ619)
          中部空港着11:15(現地時間)

旅程概要

日程・天候 行程
1月22日(木)
晴れ風強し
-10℃
@ 中国南方航空CZ620
   中部空港12:15発>大連空港13:45着(現地時間)
A ホテルチェックイン>大連賓館(三つ星)
( 中山広場ロータリー沿い南側)
   TEL
:0411−8280−7710。
   部屋ツイン1泊400元X13.7元≒5480円@2740
B 携帯SIMカード更新
C 
メル友王安隆さん夫婦と夕食>全羊館(三八広場ー二七広場)
D 温泉付きマッサージ「湯元」
1月23日(金)
晴れ風強し
-10℃
@ 午前中> 王さんの奥さんの案内でショッピング
  (春節に入ると、お店が休みになるため)
  「二七貿易大世界」(ピアノカバー)、「大連双興商品城」(高級烏龍茶)
A 昼食>KFC肯徳基
(勝利広場)
B 午後>ショッピング
   港湾広場「古玩城」、冨麗華ホテル裏「大連工芸品交易市場」、友誼商城
C 夕食>中華料理店「蟹子楼」(五一広場)(楊さん、王さん一緒)
1月24日(土)
晴れ5℃
風弱く暖かい
@ 午前>ショッピング(大連駅周辺)
A 昼食>麦凱楽(マイカルー)地階食堂>チャーシューメン
B 午後>魯迅路散策>家楽福買い物、三八広場、二七広場(ロータリー廃止状況記録)
C 夕食>昌隆(火鍋)(駐在員と)
D 
温泉付きマッサージ「湯元」

1月25日(日)
晴れ5℃
大晦日

@ 市内散策>森ビル裏日式スナック街、英華街、黄河路、中山公園、
   昼食>韓国焼肉、市電202、星海広場、市電で興工街、市電で大連駅、中山路、友好広場、
   (夕食:肯徳基)、ホテル。
A 夜食>ホテルの自室で中国版大晦日を楽しむ
  
 中山広場周辺の花火とテレビ観賞(春節晩会)
   家楽福で今晩と明晩の自室パーティ用飲食物を大量に仕入れる(200元)

大連賓館総経理から新年の差入れあり(^O^)>果物詰合せ、落花生、ひまわりの種

1月26日(月)
晴れ5℃
正月(初一)
@ 午前>労働公園の正月風景<ここで似顔絵を描いてもらう(^O^)
A 昼食>海鮮老虎灘
B 午後>老虎灘、濱海路東路、棒棰島、濱海路北路、東海公園手前(工事中で通り抜け不可)
C 夕食>昨夜同様、
ホテル自室で中山広場周辺の花火とテレビ観賞
1月27日(火)
晴れ5℃
(初二)
@ 午前>ロシア街、市電で大連駅→興工街
A 昼食>百盛前の「李先生」で加州牛肉面普通盛り11元
B 午後>市電202路線で興工街から終点「小平島前」を往復
C 駐在員マンションから西安路周辺の変貌ぶり観察
D 星海広場で新春花火大会観賞(王さんと一緒)
E 夕食>日本料理「日光」(延安路)(楊さんも合流し4人で看板まで楽しむ)
1月28日(水)
晴れ5℃
(初三)
@ 午前>ショッピング>勝利広場地下街でお土産の翡翠干支携帯ストラップ20個購入
A 昼食>ホテル自室で、家楽福で買ったピリ辛「カップラーメン」
B 夕食>楊さん家族と中華料理「現代粗粮」(星海広場)(三宝粥店の裏)   
1月29日(木)
霧深し
(初四)
@ 帰国>中国南方航空CZ619<大連空港08:05発>中部空港12:45着(現地時間)
  大連が霧で約1時間半遅れて離陸。中部空港 は快晴で無事着陸。

皆さんありがとうございました。下次見(^O^)/〜〜〜 

2009年1月22日(木)>大連@

飛行機は中部空港12:15発、中国南方航空CZ620。
奥さんに友人とともに空港まで送ってもらう。

搭乗手続きして、通関まで時間があったので、特に買うものはなかったが、
3階の「セントレア銘品館」をウインドショッピングした。ここで、新たな発見をした。
ここには特に中部地方の名産品がほとんど網羅されている。いつも、その他大勢に対するお土産に困っていた。ここには何でもあるし、価格も高いわけではない。
これからはここで買うことにする。

いつもの通り目ぼしいものを探しに、4階の「とこなめ工房 陶翔」に足を運ぶ。
あった(^O^)!赤ちゃん「科言君」に最適の木製手作りガラガラ「ぶたさん」だ!
奥さんのシャドーボックスアート「鯉のぼり」にこれを追加しよう!

通関すると、たいてい正面に季節を代表する置物がある。
正月を過ぎ、3月の節句まで間があるのか、今回は何も展示されていない。

免税店ではいつもように、駐在員やメル友などのお土産を買う。
一般店頭では売っていない芋焼酎「薩摩気」@2000円2本、
タバコ「ピース」2カートン@2000円、ゲート近くにも免税店があるので覗くと、キティちゃんデザインの缶入りクッキー@600が目に入った。
幾つになっても欲しいのが女というもの(^O^)楊さんと王さんが喜んでくれると思い買う。

大連空港には今晩食事する王安隆さん夫婦が迎えに来てくれていた。
駐在員からの迎えを待っていたが、一向に現れないので、電話すると大野君は忘れていた。彼は今それどころではなさそう!言い訳がましく、首切った従業員が連日、総経理室に押しかけ抗議行動するので、その対応で頭が一杯とのこと。

王さんにホテル(大連賓館)まで送ってもらう。夕食は時頃とし、場所はお任せした。

飛行機から降りるときアクシデント発生

飛行機のタラップから降りるとき、強風で帽子が吹き飛び、滑走路をコロコロと転がって、遥か彼方に消えた。諦めて送迎バスに乗り、発車を待っていると向こうから小型トラックが猛スピードでやってきた。私の帽子を届けてくれたものと、バスを降りて駆け寄ると、やはり私の帽子であった。
謝謝にん
m(_)m しかし、ドブに落ちたのか「どぶ水」くさい。ホテルに帰って洗う。

空港からホテルまでの道は、昨年5月よりもさらに混雑している。

ホテルは友人も2回目の「大連賓館」にした。そして、今回は中山広場に面したツイン部屋を指定し、楊さんにお願いした。運よく取れました(^O^)

大連賓館チェックイン>保証金3500元<これを現金で払うと、手持ちの元がなくなってしまう。グズグズしていると、カードOKという。ホッとする。楊さん予約時一泊450元を50元まけて400元にしてくれた。フロントで記念のポストカードをくれた。そういえば、大連賓館は大和ホテルと呼ばれていた時代からそろそろ100年経つのである。

 
 

部屋は注文通り、中山広場側の4階「401」号室だ(^O^)

 
部屋は居間(左)と寝室(右)の2部屋あり。
 
出口君はスーツケースを開けるや否や、白いものを取り出した。
煙探知器である。日本は火災予知のため昨年5月から警報器設置が法律で義務付けられた。
彼は中国の火災予報システムが信用できないとして、これを持ってきた。さすが、電気専門家だ(^O^)

携帯電話のSIMカードを買うため、上海路沿いの携帯電話店へ。
この通りには「中国電信」があり、付近にはたくさんの販売店がある。「大連飯店」前の店で購入(
50元)

冷たい風が頬を切るように吹きすさぶ中、ロシア街に足を伸ばす(16:00頃)が、露店は全くゼロ。顔はヒリヒリ、耳は痛い。ほうほうの体で帰る。途中、中国郵政局に立ち寄り暖をとる。
部屋でお土産や、防寒具などの準備をしながら、王さんの電話を待つ。

 

18:00頃王さん夫妻から電話>18:30にホテルまで迎えに来るという。
夕食は三八広場と二七広場の中間点で、太陽街の羊肉料理店「全羊館」だった。

 
 

が、お目当ての羊肉が売り切れていた。 (明日から正月休みに入るので、早く売りきったようだ)
料理はスープを入れて6品。王さんが奢ってくれた。 (1品20元として120元+ビール6本50元≒170元)

旅の疲れを取ろうと、風呂付きマッサージ「湯本」に行くことにしたが、タクシーがほとんどいない。そこで、ホテル内の公安に尋ねると、隣に座っている朋友が「私が送る」という。が、湯元は知らない。場所は私が知っているので、地図で説明。ただし、私の記憶も薄くなっており、自信はない(^レ^;

出がけに、公安が片手を開いたので、この意味がわかった上で、「あなたは50歳ですか?」と訊き、若いと褒める(^レ^;

解放路と八一路の交差点付近と思っていたが、見当たらない。
彼氏は車を降りて、通行人に尋ねるがみんな知らない。

もっと先に進むよう指示。八一広場過ぎたところで、記憶通り左側に見つかった(^O^)
50元と言うので、20元と応える。
(ホテルで公安が片手出した意味はこのことであった)
今度は40元と言うので、30元と応え交渉成立。
9時過ぎのタクシーがほとんど走っていない時だからしょうがないか(^レ^;

私は「湯本館」と言ったが、実際は「館」なしで、名前が違っていた。不好意思(^レ^;

メニューは4つ
@「60分足のみ78元」、A「60分全身98元、B「90分全身118元」、C「120分全身138元」(BとCは顔パック付き)
私はBの90分コース(顔パック付き)に決定。

まずは風呂に入る。
以前、奥さんと来たときは風呂場が薄暗く、湯船は垢が大量に浮いていた。
が、今は明るく、湯もきれいだ。しかも、湯は絶えず流れている。
(後日、駐在員と来たとき、確認したら温泉とのこと!不好意思(^レ^;
ただ、温泉を掘り当てたというが、湯の花がないところを見ると冷泉か?

衣服は全部ここの脱衣所に置き、カギを掛けて、備え付けのパンツとガウンに着替え、マッサージ室へ。特に知っているマッサージ師もいないのでお任せした。
が、この娘はとても力が強く、相当に痛めつけられた。
聞けば、内蒙古出身だ!90分でも長すぎるくらいだ(^O^)

途中、「オイルマッサージしますか?」と聞いてきた。
もともと私はマッサージ嫌いなので余分なことはしてもらいたくなくて断った。
出口君はOKしたようだ。オイルマッサージは、90分の時間内でほかのメニューを減らして行うものであるが、追加料金がかかる。

終わって、ロビーで休憩。体中が痛い。
喉もカラカラだ!そこで、ウーロン茶を注文(10元)
実は24日も駐在者との食事会の後、ここに来た。そのとき、休憩室のカウンターに蜂蜜らしき液体にレモンの入った大きな瓶があった。「一杯無料」の張り紙あり。

料金は私がマッサージ118元+烏龍茶10元=128元
出口君は175元取られた。私は太っているから割増料金だと思っていた。
が、実はオイルマッサージの追加料金だったのである。(24日分かった)

帰りは湯本の送迎バスに乗り合いでホテルまで帰る。
これも、24日分かったことであるが、迎えも電話すれば来てくれるようだ。知らないということは、ホトホトそんな話!11時過ぎていたためか、帰りは同方向の従業員も一人乗車する。

我々は最後になったため、すっかり湯冷めしてしまった(^レ^;

明日は王安隆の奥さんがショッピングをサポートしてくれるので心強い(^O^)

     

夜中12時過ぎに突然、広場で花火の炸裂音。飛び起きて見る。
気の早い連中だ!広場のど真ん中から打ち上げている。度胸もあるようだ!
公安が来る前に帰らないと、ひどい目に遭うぞーーーーーーー!

2009年1月23日金曜日>ショッピング、蟹子楼

大連賓館のツイン部屋はとても大きく、快適です。
が、地獄のマッサージで体中が痛くてよく眠れなかった(^レ^;

昨夜は気の早い連中による打ち上げ花火が広場に見えた。大晦日が楽しみだ(^O^)

   

今日もまた昨日と同じ、
冷たい風が吹きすさぶ、とても寒い日だ!

出口君が右手に持っているのは気温計です。
昨日は火災警報器だった。他に何が出てくるか、とても楽しみである(^O^)

 
中山広場は交通渋滞>タクシーも結構多い 大連賓館は4階の電光掲示板が撤去されさっぱりした。
さらに、壁面煉瓦がクリーニングされ、明るくなった。
 

出口君が大連賓館で兌換>13.75円/元
2008年5月は15.5円/元だったから大幅な元安だ!
参考>このレートは2005.8とほぼ同等(13.78円/元)

今回、私は両替の必要がないほど元を持ってきた。2000年駐在時、元は必ず値上がりすると考え、コツコツと元をタンス貯金してきた。しかし、今は昔に戻っており、損得無。

9時、王さん来ホテル。そのままタクシーに乗って、二七広場の先のショッピングモール「二七貿易大世界」へ。ここは雑貨類、飲食類はほとんどなく、衣類がほとんど。

ここで、目的のピアノカバーを見つけて買う。
ただ、先にピアノカバーになりそうな「手編みの大型クロス」を見つけ、これが200元と聞いて即、買ってしまった。そのあと、不運(^レ^;にも本物のピアノカバーを発見。
最初にここへ来れば、200元のくそ重たいクロスは買わなくてもよかったのである。残念!

化粧袋に入ったレースの本格的ピアノカバーで、イスのカバーも付いている。
デザインも洒落ており、文句の言いようがない。
値段は580元というから、350元の一発交渉で商談成立。

 
これだ!
左上の自画像は労働公園の青空画廊で雅号「関東客」さんに書いてもらったもの
 

ここで、寿恵に頼まれたコースターを発見。
レースの小形が欲しいのであるが、なかったので我慢して3種類買った。
@ 白のレースコースターφ20cm>@5元X12枚=60元
A 
刺繍のコースター>丸形15cm12枚
B 刺繍のコースター>角形15cm12枚、合計24枚=185元(@
7.7元)

出口君は特に買うものはなさそうだった。

次に烏龍茶を買いたいというと、駅裏の「大連双興商品城」へ行こうという。
王さんもお茶などここで買うようだ。

タクシーを探すが、空車は全く走ってこない。やっとのことで捕まえたタクシーも「大連賓館経由で駅裏へ」というと、みんな乗車拒否する。それもそのはず、中山広場は大渋滞、その先の駅裏はもっと渋滞がひどいのである。

やっとのことで捕まえたタクシーに乗るが、二七広場から三八広場を過ぎ、スーパー「家楽福」付近から大渋滞だ。このままでは、ホテルに着くのはいつのことやら?そこで、私は中山広場前でタクシーを降り、歩いて買い物をホテルに持っていく、その間にタクシーはホテル前にたどり着く。こうすれば、荷物を部屋に運ぶ時間が節約できる。

ところが、ここから駅裏までがすさまじい渋滞で、運ちゃんは客の我々に八つ当たりする。そこで私はタクシーの運転手にこう言った。「我々は中国国家のためにたくさんのお金を使い、買い物している。だから、そのお客さんのために、あなたはサービスする義務があります」と。

イライラする渋滞のタクシーで王さんと運転手は苦笑いするばかりであった。
料金は12元であったが、25元払って運転手の労をねぎらう(^レ^;

駅裏のこのショッピングモールは私も必ず立ち寄るところであるが、出口君とは一度も来たことがない。ということは、2007年春節で平野君と来て以来ということになる。

   

この間に店の名前も変わっていた。昔は「双興韓国服装城」だった。

お茶屋さんは右端部分にあった>店名:春秋銘茶商行

 

店員?経営者?は若い夫婦?であった。
奥さん?が接客し、いろいろなお茶を飲ませてくれる。
最初、飲ませてくれたのは「新茶」だった。とても青臭い!
新茶ならこんなものかな?と思いつつ、烏龍茶をを要求する。

出てきたのは500g1000元の烏龍茶だ!これは一般的なものではある。
適当に飲みながら、「もっと美味しいお茶はありませんか?」と尋ねる。と、ありますと言う。
500g2300元の烏龍茶だった。飲ませてもらう。
やはり、今まで飲んだものとはまろやかさが違う。青臭さも全くない。
みんなで雑談しながら、しばらくお茶を楽しむ。

 
中国茶の飲み方にはルールがある。
湯は彼女の右奥に見えるヤカンで沸かしている。
温度はホットプレートで90℃に設定されている。
この湯を急須や湯のみに注ぎ、それぞれを最適な温度にする。次にお茶を急須に入れ、湯を注ぎ、これを湯のみに注ぎ、これを捨てる。 すなわち、一番茶は飲まずに捨てるのである

捨てるとき、単に捨てるのではなく、下の写真に見る陶器に降り注ぐ。このしぐさは中国の粋だと感心した。
ものすごく情緒豊かである。
ここには4つの置物があるが、これは彼女の嗜好だと思う。
これを見ただけで、彼女の茶人としての感性を推し量ることができる。

 

とてもよい勉強をさせてもらいました。感謝の気持ちを込めて、たくさん注文しました。

注文は烏龍茶2種(500g1000元と500g2300元)に決めた。
彼女が言うには「こういう高級茶を飲む時の適量は約8g」だという。
また、飲むのは香りがなくなるまで、何度でも楽しめるという。

私は、500g1000元と2300元の烏龍茶をそれぞれ50g単位にして各5個ずつ注文。
実際はワンパック8gの烏龍茶6パック(48g)を一つの箱に詰めたものを5箱ずつとなる。

箱が同じだと、区別がつかないので、角(2300元)と丸(500元)に分けてもらった。

 

高い方は1箱>2300元÷500g×48g=220元(約3100円)1袋(8g)515円
安い方は1箱>1000元÷500g×48g=96元(約1340円)1袋(8g)224円

それにしても高いお茶です。この値段は外国人価格ではありません。中国人も同じです。
500g2万元もするような「干しナマコ」といい、日本人には理解できない飲食文化があります。

ただちょっと気になることがあった。お茶の銘柄が「鉄観音」ではなく、「鉄観王」だった。
なぜ、鉄観音でないのか?訊き忘れたので、次回尋ねることにする。

お茶屋さんの隣当たりからズっと乾物屋が続く。
大形のホタテの貝柱もある。値段を聞くと500g360元という。太貴!
立ち去ろうとすると、半生のホタテ貝柱を出した。
食べてくれと言うので食べてみる。まあまあの味だ!
500g240元と言うので、250g買う(120元

ここで王さんと別れる。お礼に奥さんからもらったフェリシモ製「ガーゼのハンカチ」日本製綿100%をひとつ進呈。

 

勝利広場から駅方向をパノラマする。

     
天津街入口には中国らしい派手なゲートが新年を待っている。
 
昼食は勝利広場の肯徳基へ 。大連に来る目的のひとつが「ピリ辛チキン」だ(^O^)
フライドポテトとコーヒーで24元(10年前駐在したときの約2倍だ)
 

続いてタクシーで港湾広場の古物百貨店「古玩城」へ。
運転手に行き先を言っても通じない!おかしい?手振りで進行方向を指示する。
原因が分かった。「港湾広場」を「湾港広場」と言っていた。不好意思(^レ^;

掛け軸の風鎮を探す。風鎮は同じものが2個必要である。
中国にはこのような習慣がないらしく、見当たらない。
よく似たものはあるが、全く同じものはない。
気に入ったのは「青ヒスイの瓢箪」2個2500元(1800元にまけるという)
今回は金がないので、次回買うことを約束し、他へ売らないようお願いする。

麻レースのクロスやカバーを売っていた王さんはどこかへ行ってしまった。

つづいて、徒歩で「大連工芸品旅遊品交易市場」へ。
ここでも、掛け軸用の風鎮を探すが、よく似たものはあるが、同じもの一対はない。
風鎮がどんなものか言葉で説明できないので、掛け軸のところへ行って、ここにぶら下げるものだ!と示す。が、中国ではこのようなことをやらないようで、理解してもらえない。

ここで気に入ったものは長白山石のセミ(蝉)であった。
石の色は白で、深みのある彫りものだった。値段は2個2500元。次回買いたいと思う。

歩いてホテルまで帰る。

途中、友誼商城でママ先生へのお土産、化粧品「迷奇」を探す。
化粧品売り場の売り子に聞くが、国産化粧品「迷奇」そのもののブランドを知らない。
なぜだ?「迷奇」ブランドを単に扱っていないということではなさそうだ。
ひょっとして、会社がなくなった?残るは大連空港の搭乗ゲート手前の売店だけだ。
ここに無ければ諦めるしかない(^レ^;

今晩は楊さん、王さんと会食です。場所はお任せしており、連絡待ちである。

17時ころ、前回行った「籠屋八兵衛」優豪斯店(you1hao2si1)近くの中国料理店だと電話連絡あり。タクシーで出かける。近くで2人が手を振っている。店の中に入って、料理を注文する。
女性店員がメモを持って我々の案内をする。が、生けすを見ると、エビやシャコがくたばっている。こりゃダメだ!

私が王さんに伝えると、なんと!その瞬間、王さんは別の店に行こうと、外に向かって歩き始めた。この決断の速さには仰天した!これが、中国人か!という思いである。
日本人なら一端店に入り、注文をする段階になれば、多少問題があっても我慢することが多い。中国ではこういう変更が至極簡単にできるようである。
食に関する文化の違いは歴然である。

 
次に行ったところは、私も何度か行ったことのある、五一広場近くの「蟹子楼」であった。
 

ここの海鮮はみんな活き活きしていた。私の好きな魚(サヨリ、エビ)を真っ先に注文。
他にもたくさん注文して、勘定は500元。王鴻雁が出してくれた。ごちそうさま(^O^)

時間もまだ早い。近くの喫茶店に行こうと誘う。
ここはマンションに近い。八中の裏に「不見不散」という喫茶店があるはず。行こう!

が、その手前、昔、餃子店のあと地に洒落た喫茶店「名曲喫茶」が出来ている。
紅茶40元
をみんなで飲む。
 

タクシーで楊さん、王さんを送り、帰る(タクシー代50元

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2009年1月24日土曜日>ショッピング、昌隆

窓に氷の結晶が見える。昨日までの風は治まったが、今日も寒そうだ!

 

今日も駅裏の「大連双興商品城」へ行ってみる。
昨日はお茶を買っただけで終わったが、ここでまだ買いたいものがあった。
それは、干支の携帯ストラップだ。春節休み前でないと買えなくなる。

ホテルを出て驚いたことはガラガラの中山広場だ!
昨日までの交通渋滞がうそのようだ。!これならタクシーも簡単に拾える(^O^)
しかし、我々はタクシーには乗らず歩く。
歩けば、じっくりと大連を楽しむことができるのである。これは私のコンセプトである。

 

友好広場から駅方向>右のビルが左のビル(貿易中心)に映っている。
また、正面の新築中3棟の高層ビルは昔の「裕景商城」別名「電脳城」跡である。

西洋レストラン後の「肯徳基」背後の高層マンション
 
とても冷たい>カラフルな防寒具 帰省者でごった返す大連駅裏>ここから帰省長距離バスが発車する。

 

駅裏への地下道通路

中山路の貿易ビルでも大勢の公安に守られた、政府の要人らしき集団が、ここ駅裏の開発区行き快速電車駅にも現われた。
テレビカメラ付きだった。

 

駅舎出入口の上部にクラウンの巨大広告

 

ここまで歩いてくるのに、出口君は既にオタオタ状態。私の歩くペースが速すぎるようだ!
彼は心臓が弱いので、私の歩行速度では、血液の供給が追い付かないとのこと。
ゆっくり歩かなければならない。

それでも商品城までは外であるから、暑くはないので歩いても汗をかくことはない。
しかし、商品城の中はガンガンに暖房が利いており、蒸し暑いくらいだった。
店内は店名が変わったとき、レイアウトを変えたのか、翡翠の干支を携帯ストラップに加工する店がなかなか見つからない。

私自身も汗ばむほどになってきたので、目指す店を探すのを断念し、外へ出る。
風もなく穏やかな天気だったので、駅裏のベンチで休憩。

改めて、雑踏の大連駅を見渡す。

 

快速電車駅前、来た時よりさらに人もバスも増えている。
今日帰省しないと、明日の大晦日は家族とゆっくりできないからだ。

駅前方面から、絶えまなく人がやってくる。民族の大移動である。

 

駅裏から地下道をくぐり、勝利広場横の「大連宏浮国際酒店」前から、
元「電子城」跡の建築中高層ビルを望む。手前の茶色いビルは「郵政賓館」


 

勝利広場西側のいつもの乾物屋
今まで解放されていた入口に、透明のアクリル戸が設置された。
両隣りは相変わらずの開けっ広げだ!

これなら寒い大連でも中に入れば、暖かく買い物ができる。ずいぶん儲けたようだ!
私も貢献している(^O^)
いつものホタテの貝柱500g320元を280元に負けてもらう。

 

お昼は、倒産した元イトキンビル8Fの札幌ラーメンでもと、出かける。
ここは今、改装中で屋上の広告塔には「久光」とある。
8階の食堂街も改装中で、7階までしかエレベーターは上がらない。引き返す(^レ^;

ところで、「久光製薬」なら知っているが、「久光」などという店名は聞いたことがない。

日本に帰って、ネットで調査(http://www.jiu-guang.com)すると、
中国上海市静安区南京西路を本拠とする中国資本デパート「久光百貨」であった。
それにしても、紛らわしい名前である。てっきり日本の会社かと思った。
2月4日から14日まで開店祝いの全店20%引きセールがある。

 

それではと、私が大連赴任した時、通訳の王秀梅に連れて行かれた、マイカルーの地階食堂で分厚いチャーシューの入ったラーメンを食べることにする。10年前食べたのは味噌チャーシュー面であった。

注文すると奥から「みそチャーシューひとつ」と日本語で応えたことに驚いた。
値段は10年前と同じ18元だったが、分厚いチャーシューが薄くなり、6枚が3枚に減っていた。
ちゃっかり実質値上げしていた(^レ^;

今回は「トンコツ」とし、加えてワンタン麺12元を一つ注文し、二人で食べた。
これは、味が薄くうまくなかった。
日本にはテーブルに調味料が置いてあるが、ここには昔から置いてない。
要求すればあるのかな?さらに、缶ビール(青島)10元でのどを潤す。
昨年はプルトップ脱落型だったが、今回は落下防止機能の付属型だった。

 
 
ここに珍しいものを発見!不二家のペコチャンだ!
偽物かと思って確認すると本物だった(^O^)

 
出口君はスーパーで昨年同様、紹興酒を2本買う(@100元)
 
歩いてホテルまで帰り、14:00まで休息。
 
買い物のため、スーパー「家楽福」へ。
目的は寿恵に頼まれた、キャラクター入りの文具(ボールペンほか)を探すため。
 
途中、花火の臨時売り場があった。
いくらくらいかと、覗こうとしたら店の奥から鋭い視線を感じて止めた。
魯迅路の元大連日報跡地の建設状況を確認>昨年からほとんど進展なし。

 

 

 

あるある!膨大な筆記用具がある。
ボールペンや鉛筆(シャープペン)は少ない。圧倒的に水性ペンが多い。
キャラ入りもいろいろあった。面白いのは「ゴキブリ」のマーカーペン
カートリッジ式鉛筆1種類と中性ペンを5種類選定>合計金額Jast50元
(7元、16.8元、6.4元、5.9元、6.9元、7元)

数量6+6+3+3+2+2=22本、1本約2.3元(31円)

 

ついでに、この足で、三八広場と二七広場のロータリー廃止状況を確認した。

 
三八広場はロータリーから対面交通に変わっていた。
しかし、五五路側にわずかながら面影を残すという粋なはからいがあった。
中国も捨てたもんではない(^O^)
正月前は至る所で花火を売っている。
値段は20連発の打ち上げ花火が1500元(2万円)くらい。

 

三八広場ではパノラマ写真を撮った。(二七広場方向)
が、帰って編集すると、車の往来が激しいのでつなぎ目に車の半身が入り、グチャグチャだ!

続いて、二七広場へ。広場周辺の建物が全部変わった。 東海公園方向>停留所は昔通り、中央部にある。8年前より安全面が向上した。

 

三八広場方向

 

参考>2001年7月の二七広場

 

さらに23日王さんの奥さんに案内してもらった、ショッピングモール「二七貿易大世界」の玄関の写真も撮りたかったが、冷たい風が顔を差すように痛いのでやめホテルまで歩いて帰る。
途中、駐在員の稲垣君から電話あり>会食は18時ころに決定。部屋が取ってある。
ホテルでしばらく休憩。

17:20ホテル出発、タクシーで今日のメインイベント駐在員との晩餐会に出かける。

途中、勝利広場付近の中山路イルミネーションがきれいだった。

 

夕食は、大連に来ると必ず1回は食べる、もちろん「シャブシャブ昌隆」です。

五四広場前でタクシー下車。五四広場周辺の写真撮影。特にスラム街の改変を注視。

駐在員は4人(大野、山田、稲垣、佐藤)、秩父君は広州に出張中で不在、石垣君はどうしていないのか?勘定は、いつもの通り割り勘だった@70元

大野、山田は広州リョウビ向けのフォローで、帰国できない。
(リョウビは釣り道具や電動工具だけでなく、自動車部品加工に参入する)

が、稲垣、佐藤は明日帰国するので、今夜が最後となる。
そこで、中国の垢を落とすため、「湯本」へ行くことに決定(佐藤君は不参加)
>タクシー2台で出発。

湯本は22日も行ったので、これで今回旅行では2回目だ!
マッサージ嫌いの私としてはとても珍しいことである。

駐在員の連中は常連客らしく、マッサージする女の子を番号で呼び、指名している。
私は22日内蒙古の子で、力が強く、痛かった。というと、「そうだ!あの子は力任せ!」と、全員がうなずく。私はえらい娘に当たったものだ(^レ^;

それではと、稲垣君が17番を紹介してくれた。この子は「毒抜き」という特技を持っており、絶対満足できるという。名前は夏さん、年齢は24歳、出身は甘粛省で、内モンゴル自治区の隣だ!空港がまだなくて、列車では遠すぎて遠すぎて、春節でも帰省できない不幸な人です。

ここで「甘粛省」の位置について説明しよう。
甘粛省は南東から北西に伸びる、日本によく似たとても細長い省です。
良く知られた都市としては古代シルクロードの要所「敦煌」があります。

東はシルクロードのスタート地「西安」を首都とする「陝西省」に接し、
南は昨年大地震のあった「四川省」と接し、西は青海省、新彊ウイグル自治区と接し、
北は内モンゴル自治区、寧夏回族自治区、そして一部ロシア国と接している。

参考に22日痛めつけられた彼女の出身地「内モンゴル自治区」は、甘粛省など比べ物にならないほど、広大だ!従って、接している国も膨大だ!すなわち、

北はほぼ全面で「モンゴル人民共和国」(ほとんどゴビ砂漠)と、そして、一部ロシア国と接している。続いて、東は黒竜江省、吉林省、遼寧省と接し、
南は河北省、山西省、陝西省、寧夏回族自治区へと接し、西は甘粛省で終わる。

後で聞いて分かったのであるが、夏さんの特技というのは「垢すり」のことであった。
しかし、この垢すり料金はなんとなんと、80元だった。
90分118元と80元とポカリ10元で計208元取られた。

大野、山田2名は120分コースだったので、我われ3人は先に帰る。
今日は幸いにも、一番最初にホテルに着けてくれた。

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2009年1月25日日曜日>黄河路散策、大晦日をホテルで過ごす

今日は大晦日である。昨日までの冷たさが取れ、穏やかで温かいお天気となった(気温は約5℃)
中国人は今日明日と家族団らんでお正月を楽しむので、今日と明日は我々二人だけの大連となる。
 
7:30起床>中山広場ではすでに犬の散歩仲間7,8人が犬を囲んで雑談している。
左程寒くないのか、服装は軽めである。中国では犬の散歩は紐などで繋がず、放している。

 

が、一人だけロープを持っている。みんなでこの犬について話をしているようだ。
この犬はかなり落ち着きがなく、飼い主のしつけがまだできていない様子である。

中国では犬の散歩は大体において放している。が、犬は人を襲うことがない。
とてもよく躾けられており、これが飼い主の義務として守られている。日本人も見習うべきと思う。

9時ころの広場>大晦日で人通りも少ない。車も激減した。

 

本日、大晦日の大体の大連散策旅程

9:00ホテル出発 → 中山路 → 森茂大廈裏日式スナック街 → 英華街 → 黄河路 → 

倒産した四川料理店「巴国布衣」のあと確認 → 市政府裏の遊園地で休憩 → 中山公園 → 万歳街 → 

昼食>韓国料理「千手予健康拷肉」 → 西安路 → 市電202 → 星海広場(パノラマ写真) → 

27日の花火大会準備状況確認 → 海岸で一服 → 市電202 → 興工街 → 市電201 → 大連駅 → 

中山路 → 友好広場(肯徳基) → ホテル

 

ホテルから、いつものように中山路を、勝利広場方向に歩く。

友好広場横の空き地は既に6年が経過するが、何ができるか依然、謎だ!

 

 

林立する高層ビルがお互いを映し合っている。
正面奥は元「裕景商城」跡で建設中のビル。

 

左側の派手なピンクビルはそろそろ保護建築物に指定されそうな「大連秋林」(女性専科店)
(最近は男物も売っているようです)

勝利広場前の青泥街角では大晦日にもかかわらず、
暖かいこともあり、露店商が歩道に商品を並べている。

 

昔の電子城跡地には高層ビルが3棟建築中

森ビル裏の日式スナック街は半分削り取られ、
跡地には外観が完成した高層マンションがそびえ立つ。
後は、内装を待つだけ?

 

ここから英華街を北進し、黄河路へ向かう。
黄河路との交差点で「足のツボ位置図」発見、写真撮る。
拡大>144KB<戻るにはブラウザの「戻りボタン」を押してください。

最大物件は298u(90坪)4LDKで179万元(2500万円)、
最小物件は43u(
13坪)1DKで27万元(378万円。
拡大>240KB<戻るにはブラウザの「戻りボタン」を押してください。

 

その隣にはこのあたりの住宅物件の案内あり。
いずれもマンションで、金額はu当たり6000〜10500元

 

ここから黄河路を西に向かって、ひたすら歩く。(建設中の2005年以来であるから4年ぶりです)

 

黄河路にはトロリーバスが走る。市政府からこちら側は再開発がとても困難だったと思われる。
中国では、最近居住権問題から土地所有の問題が各地で発生し、抗議デモなども多発している。
大連ではあまり目立った抗議行動は起こっていないようではあるが、確実に民主化が進んでおり、
今までのように、お上のお達しがそのまま通る時代ではなくなりつつある。

この建物もユニークな設計ではあるが、上部を見ると取り壊しの最中であることがわかる。

 
倒産した四川料理店「巴国布衣」のあと確認>お風呂屋さんになっていた。

 
昨年2008年5月のときの写真 左側の古いアパート群ももうすぐ取り壊されるであろう。
ちょっと覗いてみたが、ゴミ捨て場に入ったようだった。

 

途中、陸橋発見。今まで気が付かなかった。
昔は川が流れていたのか?はたまた単なる交通路だったのか?

 
ホテル出発して約1時間半、ちょっと休みたいが、なかなか休憩する場所が見つからない。
この通りには喫茶店など全く見当たらない。これは大晦日の所為ではなく、お店がないのだ!
 

やっと、市政府裏のバス停横に小さな遊園地を発見。ここにベンチがあるので休むことにする。
左側>市政府、右側に渡ると遊園地がある。

黄河路を渡り、いま来た方向を望む。左側がバス停でこの横に遊園地がある。
(正面遠方に建設中のビルが見える)

 

このバス停の向こうが市政府庁舎

 

市政府裏の遊園地で休憩>遊園地内の中国式遊具に感心しきり。
健康増進にも効果抜群。日本でも使える?

童心に帰って、いや、これは大人用の健康器具かもしれない。
中国もご多分に漏れず高齢化社会だ(^レ^;
年寄りの健康は中国国家としても重大事なのである。
2人は暫し、遊具を楽しむ。

居ながらにして歩行器と、背筋ピン伸ばし器。

 
これなら日本でも作れそう(^O^)、右は膝屈伸器

 

やってみた(足の長さによって、座る位置が調整できる)

 
さあ、出発だ!あと少しで中山公園に着く。
 
自転車屋さんの店頭にオートバイの形をした自転車が展示してあった。
本物そっくりなのに驚きました。
この辺りから両側とも再開発が終わっている。

 
春節の飾り付けも見られる。

 
中山公園手前でトイレ気配。が、この通り(黄河路)には飲食店など全く見当たらない。
中山公園内にトイレはあるが、開いているという保証はない。多分鍵がかかっている。
やむなくビルの陰で済ませる。休みで人通りもほとんどないことは幸いであった。

ふと裏を見ると、日当たりの良いアパートを発見。
室内に提灯が飾られ、春節ムードいっぱいだ(^O^)

 

華  宮

華宮のパノラマ写真
拡大写真76KB<戻るにはブラウザの「戻りボタン」を押してください。

 華宮からいつもの180度パノラマ写真撮影
拡大写真100KB<戻るにはブラウザの「戻りボタン」を押してください。

中山公園正門で左右180度のパノラマ写真撮る

左端の家族連れと右側の家族連れは偶然にも、同一家族である。
ちょうど私がパノラマ写真を撮るとき、左側から現れ、右側に歩いて行ったのでありました(^O^)
拡大写真120KB<戻るにはブラウザの「戻りボタン」を押してください。

見事に、捩じれ状態に剪定された生垣。 マンションに改装中の元博愛大廈。
両隣の建物(日本料理店「伊勢島」とスケルトンビル)は健在だ(^レ^;
 
万歳街を通って、長興街に出、昼食を日本焼肉店「夢山水」でと思っていたが、残念ながらお休みだった。
そこで白山路沿いの日本人経営の「焼鳥屋」はと、出かけたが、店がなかった。倒産したようだ!
 

会社の事務員らしき女性が爆竹の準備をしている(白山路)

 

続いて、その近くの韓国料理店へ。営業していた(^O^)>韓国料理「千手予健康拷肉」

注文>頂級牛排48元(670円)、麻辣牛舌28元(390円)、羊肉串4本@2元=8元(110円)
多春魚(シシャモ)8匹18元(250円)、これを2匹ずつ小形角型フライパンに載せ、中段に入れて焼く。
青菜拼盤
pin1pan2(野菜の盛合せ)18元(250円)>この中の「芋頭yu4tou」(サツマイモ)の薄切りが美味しい。
紫菜包飯(韓国ノリ巻き)16元(220円)、黒獅金冠(ビンビール)3本@10元=30元(420円)、水料3個@2元=6元(84円)

 

合計172元(2400円)@1200円

 

食後の散歩は五四広場周辺の変貌ぶりを観察。例のスラム街は今、生まれ変わろうとしている。

 

五四広場周りの郵便局前にはたくさんの郵便車が歩道に駐車している。
この周辺を歩いて、10年近くになるが、このように大量の郵便車を見たことがない。
生活の豊かさとともに、郵便物も飛躍的に増えているのではと推察する。

 
聖金広場前から、マンションを望む。
隣に百盛のマンションができた以外は何も変わっていない。
スラム街の跡地には、高層ビルが2棟、出来つつある。
下には入居者募集の事務所も出来ており、マンションに間違いない。
それにしても、こんなにマンションばかり作って誰が入居するのであろうか?

 
聖金広場にも春節の飾り付けが見られる。 麦凱楽(西安路店)の前から市電に乗り、星海広場へ。

 

星海広場前で車の接触事故あり。中山路の中央に車の破片が散在しているが、けが人はなさそう。

 

おしっこしたくなったが、この辺りには公衆トイレがない。会展中心内にはあるが、春節で開いていない。
幸い人通りは全くない。そこで、会展中心の建物陰で放出!すっきりしたm(_)m

会展中心の階段を内緒で上り、最上階から星海広場のパノラマ写真撮る。
パノラマモードにすると、露出感度が固定化され、画像が大体において悪化する。ここでは、広大な星海広場の感触を楽しんで欲しい。

拡大写真約1MB<戻るにはブラウザの「戻りボタン」を押してください。

 
遅い回線をご使用の皆さんには、次の写真で我慢してください。
 

トーテンポールのある広場中心の干支モニュメントを見ながら、先端の花火仕掛け準備状況見学

 

 

 
我らは蛇年生まれ
 
27日開催される花火大会のオープニングセレモニー会場設営 大連新発見(^O^)>清掃自転車
 
この広場の全ての生垣および、写真のような人工樹花にはイルミネーションが設置されている。

 

打ち上げ花火の仕掛けはその先のようだ。

 

 

 

波型部から写真撮ろうとやってきたが、入れないようにロープが張ってあり、公安2人が警備している。
あの上から記念写真撮りたいと、ジェスチャーでお願いしたが、駄目だった。我々だけでなく中国人も駄目だった。

 

公安に2人の記念写真を撮ってもらう。

右側に回ると、海岸に出れた。シーズン中は入場料が必要なところであるが、正月は開放しているようだ。

ここで再びおしっこしたくなる。昼食で飲んだビールが寒さで出てくる。
この辺りにもトイレがない。やむを得ず、今は閉鎖されている売店の裏に回り、こっそり用を足す。
ただ、ここにはたくさんの先客があり、真黒に変色した大便がゴロゴロしている。
中国の恥部を見た感じである。原因はただただ、トイレがないからである。大連が国際的な都市になるにはここを克服する必要がある。

潮は引いていたので、浜辺に降りて石に付着した青ノリを観察。
きれいで豊かな海がここにはあるようだ。

 
濱海路方向 星海公園方向(旅順方向でもある)

 

星海広場から再び市電に乗って興工街へ。ここで乗り換えて大連駅へ。
市電201路線で、偶然乗った電車の頭上に「懐かしの市電写真」が掲示されていた。
揺れる車内で必死に写真を撮った。写りは悪いがとにかく記念になった(^O^)
   
ご紹介しましょう!
民主広場の車庫?(1907年) 大連駅前(1921年)
   
   
   
   
   
1948年8月調査した路線乗客数

この当時は、北は飛行場近くの周水子まで。
東西には西安路の解放広場から五一路、中山路を通って、友好広場、中山広場まで。
また、南には大連駅から解放路を通って、老虎灘まで。

60年前は大連中を市電が走っていたのである。

私が知っている2000年当時は、201路線が沙河口駅前から興工街経由、大連駅まで。
202路線が興工街から黒石礁まで。203路線が大連駅から民主広場経由、寺兒溝まで。

現在では、201路線は沙河口駅前から興工街までが廃線となり、大連駅から東海公園までの203路線は大連駅で201路線とつながってなくなった。
また、202路線は黒石礁からさらに、旅順手前の「小平島前」まで延長した。

ふと、今晩大晦日の食事が心配になった。
多分、お店というお店は全部お休みであろう。
とすれば、何か仕込んでいかないと大晦日の夜長を過ごせない(^レ^;

大連駅から天津街を経由して歩くが、露店もまばらで、目当ての飲食店は皆無。困りました。
最悪の事態を考えて、友好広場の肯徳基に立ち寄る。やっていた太好了!(^レ
ここで、24元のピリ辛ハンバーグとポテトの2セットと、ツマミのピリ辛鳥軟骨から揚げ1個(57元)持ち帰る。

しかし、飲み物店はどこにもない。そこで、昨日営業していた「家楽福」を思い出す。
今日、大晦日も営業していることに賭ける。
出口君はこれ以上歩くことはできないので、私一人で、ホテルから歩いて行く。

隣の電気店がお休みのようで、遠目には人通りも少なく不安であった。歩道に露店が立ち並んでいる。
しかし、「家楽福」はやっていた。太好了!たくさん買い込んだ(^O^)

 
干花生(落花生)1袋4.9元、牛肉粒1袋27.3元、大麻花2個3.5元、鴨姿焼1羽24.3元、ピリ辛牛肉カップヌードル2個7.4元、長城ワイン白1本28元、長城ワイン赤2本59.8元、アサヒスーパードライ500ml6個40.8元、買い物袋大2枚0.6元。これだけ買って、総計196.6元(2700円)

 

今、徐々に大連でも買い物袋が有料化しているようだ。
「家楽福」も昨年5月は無料であった。が、今年は大袋が1枚0.3元(4円)これは高い。

 

ホテルに帰ると、
大連賓館の総経理名で差し入れがあった。
お盆3つに、礼状が添えられていた。

ひとつは「バナナとみかんの詰め合わせ」、
ひとつは「落花生」、ひとつは「ひまわりの種」であった。
心づくしに感謝感謝!夜遅くまでの花火を鑑賞するには、
ひまわりの種は最良です。さすが中国人総経理です。
解っていらっしゃる(^O^)

 
18:00ちょっと前の中山広場、とりわけNew中国銀行の壁面電光ディスプレーを時系列に、ご覧ください。

 
 
 
     
     
18:30から大連賓館401号室で2人のパーティが開始した。
家楽福で買った落花生は添加物が入っているようで、何やら油臭い(^レ^;
上海名産の干し牛肉「海陸の味」も日本人にはちょっとなじめない味であった。
右端にチョロっと見える、皿に入っているのは大連賓館からの差し入れの落花生で、これは美味しい。
中央の肉は家楽福で買った「鴨の丸焼き」だ!日本ではほとんど販売されていないものだ。出口君に初体験させようと買ってきた。が、正直言って美味くない。右側の皿に入っているのが、ホテル差し入れの「ひまわりの種」である。左側の赤い箱は友好広場の肯徳基で買った、ピリカラケンタっきーだ!

パラパラと花火が上がる

401号室から見える花火は左端の中山路奥、上海路、人民路、魯迅路の一部だけである。

 

7時45分ころ
 
21時ころのテレビ番組

小林幸子か?美川憲一か?と見間違うほどの煌びやかな蝶衣装を纏って、舞台中央で乱舞するダンサーひとり!
透明衣装で肉体美豊かに踊っている男性だ!その前では大勢の女性踊り子が踊っている。
これぞ、国営放送CCTVの春節晩会だ!

 
 
花火は22時ころから激しさを増すが、前に広い空き地「中山広場」があるので、目の前で打ち上がることはない。五四広場のマンションでは目前で打ち上げられるので迫力も違うし、さらに、目の前が煙で何も見えなくなる。 時々、中山広場の中央部分から打ち上げられるが、規制されているようで、公安の目を気にしながらであった。

 
 

 
22:50、突然、目の前で花火炸裂!!大連賓館も大晦日に打ち上げた!  

 
 
 
中山広場周辺の花火を動画にしました>約48秒mpgファイル8MB
 

しかし、年が明けるころにはさすがに、花火の煙で中山広場がかすむようになった。
出口君は寝てしまったが、私は1時半ころまでまばらになった花火の打ち上げを楽しんだ。

楽しんだと言えば、テレビ番組でした。中国にも国営CCTV以外の民放放送が群雄割拠している。
この百花繚乱、梁山泊ぶりを表現して「山寨春晩」という。(国営放送CCTVは「春節晩会」)

「山寨」とは、法的に認められていない、Or、権威に挑戦する意味である。
(広辞苑>山中に構えたとりで、山賊のすみか)

「梁山泊」とは、中国山東省の西部「兗」(えん)州の南東、梁山の麓にあった沼沢。
宋代、盗賊「宋江」らが砦を結んだという天険の要地。
この故事が水滸伝に記されてから、一般に豪傑、野心家の集合する所をいう(広辞苑)

そこで、梁山泊のことを「山寨英雄」ともいう。

ほかにも「山寨」という単語は至る所で使用されている。例えば、
山寨手机(ヤミ携帯)、山寨曲(海賊版CD)、山寨百家講滸(?)

 
23日、王さん楊さんと食事した後、長江路沿いに、こんな店がありました。
何をやっているお店でしょうか??

ゆく年くる年のテレビ番組は文字通り「山寨春晩」で埋まる。これだ!

 

一方、春節晩会はこんな感じで、まったく対照的だ!NHKの紅白歌合戦という感じです(^O^)
 
 
26日午前00:45、フィナーレです。
 
 
26日午前1時ころ、さすがに中山広場周辺も煙が充満します。

もう寝ます。おやすみなさい!

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2009年1月26日月曜日>春節(旧正月の元日)<労働公園、濱海路

朝7:00>中山広場に大勢の清掃人。服装が掃除のおばさんとは異なる。黄色と赤のシマシマだ。昔このような集団を見たことがある。監視員が周囲を取り囲み、警戒している。
そうだ!囚人たちだ!昨夜のすさまじい爆竹と花火の破片を清掃している。
右手では、正式な大連市清掃婦に日頃のご苦労に感謝する式典が行われていた。
役所のえらいさんから一人一人に記念品(大きな透明袋になにか食べ物様なものが入っている)が渡されている。当然のことながら、テレビ局の取材カメラが一部始終を撮影している。
 

 
9:30出発。中山広場を散策。今日はとても穏やかで、暖かい。
広場中央部にマンホールのような丸い蓋がある。今まで気が付かなかった
>新発見である(^O^)
 

これは遼寧省測絵局が2005年に制作した「測絵基準点」というもので、銅合金で出来ている。
中山広場の位置が東経(121度33分17.0秒)と北緯(38度49分14.0秒)で示されている。

 

 

労働公園@20元

 
いつもながらのことであるが、色彩豊かな電球入りの布張り子モニュメントがアチコチ、所狭しと配置されている。文化の違いとは言え、朱色のけばけばしい張り子は何とかならないものかと思う(夜になると点灯して鮮やか(^O^)
 
一説では、赤は真紅の国旗「紅旗」に代表される「紅色」である。
当局は、これを中国国家(中国共産党)の色として、国民の意識を赤色に統一しようとしている。
 
 
今日は時間がたっぷりある。ゆっくり公園を散策しても、余るほどだ。かと言って、いつまでも外では寒い。

 

宇宙ロケット神舟号の発射台モニュメント

 

 

今回は電波塔へのロープウエーには乗らず、下から大連港方面のパノラマ写真を撮る
(各写真をクリックすると拡大します)

   
 
テレビ塔方向 家族づれ
 

中国でいつも思うことがある。一度でいいから「似顔絵」を描いてもらいたいと(^O^)
大連はもちろんであるが、出張で出かけた「ハルビン」や「広州」や「上海」など、どこでも似顔絵師がいる。しかし、このような似顔絵師は、多分、カメラの普及とともに少なくなっていくことであろう。

通常は、数人くらいの似顔絵師が路上に並んで、お客さんを待っている。
自分の描いた似顔絵を店先に並べて、力量のほどを見せている。
みんなとても上手である。ただ、時間がかかるので、余裕がなければ頼めない。
今回はあり余るほどあるので思い切って依頼した。

 

公園内には2人の似顔絵師が出店していたが、そのなかで年寄りにお願いした。

 

 

いづれの作品もいきいきとした表情でとてもよく描かれている。
しかし、私の作品は表情がいまいちであった。描いている間、私はいろいろな表情をするが、その中で、「いきいき」とした状態を絵にして欲しかった。1時間程度では、難しいのかもしれない。
上のような見本は写真を見ながら、じっくり時間かけるのであろう。

私としては出来栄えよりも、一度はやってみたい希望がかなって、うれしかった反面、無表情な似顔絵に残念な思いがいっぱいである。

帰国して、この絵を額に入れて居間に掲げたが、ばあさんから「あれは誰だ」と言われて、がっかり!
しかも、何度見ても言うことは同じである(^レ^;

料金は50元。最初は30元といい、終わると後処理代20元必要という。してやられた(^レ^;
絵は30元だが、スケッチ鉛筆のためそのままではこすれて絵が台無しになる。
そこで、保護用透明スプレー(20元)が必要となるのである。
このスプレーが絵と同等の値段というところが、なんとも面白い。彼の絵は価値が少ない(^レ^;

出口君には経過を写真に撮ってもらい、作品が出来るまでを記録した。
所要時間は約1時間だった。
作品の出来るまでをご覧ください。

 
11時30分開始
眠くなって、こんな顔をしていたので、表情の悪い絵になった?(^レ^;
 
11時35分>眼から始まっている 11時50分
 

11時55分>顔の輪郭に入った。

 
12時15分>ほぼ完成

12時20分>完成

 
メモ用紙に書いてもらった、作者自筆のサイン(雅号)
 

ブラブラあるいて出口に向かう。祝祭日には必ず見られる「民族踊り」が、笛や太鼓でにぎやかだ!

昼食をどこで食べようかと、思案した。正月だからやっていない店の方が多いはず。
で、どうする?午後、濱海路を散策したいと思っていたので、「老虎灘」の海鮮バイキングを思い出す。

タクシーの運転手に老虎灘の「海鮮自助餐」と伝えるが、伝わらない。
「海鮮自助餐」の発音が悪くて伝わらないのか、「海鮮自助餐」を知らなくて伝わらないのか、分からない。
とにかく老虎灘へ向かう。記憶を頼りに水族館前で右に回ると、すぐ前に目的の食堂があった。
が、御休みだ!どこか昼食するところはないか、運転手に尋ねる。
しばらく考えて、今来た道を戻り始めた。と、目の前に開いている食堂があった(^O^)

 

名前は「海鮮老虎灘」だ!(タクシー代15元)

 
ガラスの活け巣でアイナメのような魚2匹を煮魚に(58元)、あさり500gを酒蒸しに(20元)、
カキ500gを茹でる(24元)、そして大好物の「夢卜絲蝦鍋」(糸状の大根と干しエビのスープ)(26元)を注文。

飲み物はもちろんビール(3本18元@6元)。
ビールはもちろん冷蔵庫には入っていないが、とにかく寒いところであるから、店の奥から持ってきただけで冷たい。
これで95元(1330円)@665円だ!とにかく庶民の生活領域は極端に安い。

 

                   勘定書き

ただ、酒蒸しの酒(白酒)があさりを蒸した後に掛けられたようで、ほとんど生だった。アサリをしゃぶると、ほとんど生の白酒が喉に詰まって、むせてしまった。中国では酒蒸し料理はあまり食べないので、調理がヘタクソです。

水族館前でタクシーを探す。
近頃はタクシーが極端に少なくなり、圧倒的にマイカーがふえた。
従って、タクシーはすぐに目につく。向こうから空車がやってくる。
昔懐かしいベージュのタクシーだ!最近はベージュのタクシーが激減した。

車検のない中国では、このような古い車種の車は、更新させないと事故のもとになる。
そこで、当局は意識的に継続使用を認可しないようにしている。
この車は今や、とても貴重な存在である。(^レ^;しかも、運転手が女だ!

以前このような女性運転手にあったことがある。夜、旦那が運転し、昼間は奥さんに変わるというものだ!
年末は旦那は休みなしで稼いだかもしれない。そこで、正月の日中は奥さんに変わるのである。

ここから東海公園まで、途中、所々で写真を撮りながら、濱海路を走って欲しいと交渉。
料金は150元と提示。この料金は通常メータの3倍くらいだと思う。
正月のご祝儀として、彼女にプレゼントしよう(^O^)

二つ返事でOKだったが、「道がよくわからない」というので、私が知っているから大丈夫と安心させる。
まずは、老虎灘像を出口君に見せるため、運転手に行き先を話すが通じない。

らちがあかないので、私がアッチ、コッチと指示しながら走る。
すぐに伝説の老虎灘像に着く。記念写真撮影

 

 

濱海東路を棒棰島まで進む。途中、風光明媚な場所ではところどころ止まって写真を撮る。

 
 
困ったのは、やはり「トイレ」である。
景色の良いところには展望所が用意されているが、トイレが全くない。
そこで、木陰で立ちション(^レ^;、この辺りは格好の天然トイレだ(^レ^;
絶景を見ながら、用を足した後、改めて記念写真(^O^)

 
中国人も同じようにやっている。それでもまだ男はやりやすいが、女はどうするのか?
大きい方になれば男も女も同じだ!なんとかせにゃいかんだろう!

市政府に告ぐ、『即時!「厠所」を設置せよ!』
 
 
「棒棰島」から先(濱海北路)は有料だ!
一人10元だから20元とタクシー5元で25元のところ、運転手が「30元くれという」。
彼女は知らないようだ。確認するよう言うと、「その通りだった」と、照れていた。
 

しばらくして、コンクリートでできた本物そっくりの、大樹が見えてきた。
ホテルに置いてあった「観光地図」によるとこの木は「大榕樹」
da rong2 shu2と記載されている。

帰国後、広辞苑で調べる

 

ガジマル【榕樹】(琉球語)東アジアの熱帯・亜熱帯に産するクワ科の常緑高木。
わが国では沖縄・屋久島に産する。幹は多数分岐して繁茂し、気根を垂れる。
葉は楕円形または卵形、革質、無毛。
黄色または赤褐色のイチジクに似た小形の花の塊を生ずる。材を加工物に使う。
 
彼女が運転手
 
海はどこまでも紺碧色だった(^O^)
   
 

途中、ずっと坂道の両側壁面に、魚類や貝類や海藻類の巨大な造形物がある。
前からこの造形物を写真に納めたいと思っていたので、運転手に無理言って、何度も車を停めてもらい撮影。

 
 
 
 
 
 
ところが、波形モニュメントのある「海之韻公園」は工事中で通行止め。中は全部解体されている。
(楊さんに聞くと、来年には新しい公園に生まれ変わるという)
 

しょうがないので、引き返してもらい、老虎灘経由でホテルまで送ってもらう。16:00ころ着。タクシーのメータは65元となっていた。

途中、写真撮影で何度も停車したので35元追加して100元が相場か!約束通り150元払う。
が、当初3倍だったものが、2倍にもならないということであまりうれしそうではなかった。

19:30頃、正月休みではあるが、スナックなどの飲み屋が営業していないかどうか、一人で調査に出かけた。

まず、富麗華裏の長江路沿いの日式スナック街は真っ暗で、全店お休み。
続いて、延安路沿いの日式スナックと日本料理店を調査>スナックは真っ暗。
日本料理店は営業中で、中国料理店は「天天漁港」と焼肉の「一心」が営業中。それ以外は閉店。

夕食は引き続き、ホテルの室内で残り物を食べる。
白ワイン、ビール、カップヌードル、バナナほか>これで充分

元日の夜も大晦日同様、ホテルで2人だけのパーティ(^レ^;

 
20:00ころの中山広場。さすがに人通りは少ない。

  広場中心から360度パノラマ写真(23KB)

360度1枚ではモニターディスプレイからはみ出してしまうので、2枚に分割しました。
拡大写真>54KB<戻るにはブラウザの「戻りボタン」を押してください。
⇒スタート⇒下写真左へ

拡大写真71KB<戻るにはブラウザの「戻りボタン」を押してください。
⇒おしまい
 

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2009年1月27日火曜日>初二<星海広場の春節記念花火大会鑑賞、ほか

正月2日目の早朝、7時50分ころには、いつものように人が散歩している。
 
車も少し増えた。今日もいい天気です。
 
今日は風もなく、とても良い天気なので、再度「ロシア街」へ。
初日22日にブラッと立ち寄ったが、寒くてほうほうの態で引き返した。
ボチボチ露店が開店し始めている。 大連芸術展覧館では油絵の展覧が行われていた。
 
展覧館入口の陽だまりに子猫が気持ちよさそうにうずくまっていた。 2005年はお化粧中で保護建築登録銘板は遠くからしか撮影できなかったが、今回は中に入れたので、改めて近くから撮影した。
 
 
 
 
奥から入口方向

ここから、駅まで歩く。

大連駅から市電201路線に乗り、興工街へ。
201路線も2両編成の新型電車が走っている。

この電車に偶然、日本人夫婦の観光客が乗る。
大晦日の爆竹と花火を見て、午後帰国するという(大阪関空)

それにしても残念なのは、今日19:30からの星海広場の花火大会が見られないことである。どういう旅程か、ツアーなのか分からないが、この花火大会を見逃すような計画では話にならないと思う。

 
長江路の沿線もところどころ、再開発中である。 教会も盛況のようで、塀にきれいな絵が描かれている。 五一広場手前の坂の上
 
五一広場の一画にあった、煙突付きの住居が取り壊されて、更地になっている。
いったい何ができるのか?楽しみです(^O^)
 
取り壊し前>2003年
 
2両編成の新型電車
 
 
興工街から歩いて、百盛前の「李先生」でラーメン「加州牛肉面」普通盛りを食べる(11元)
  ここでビールを注文したら、「青島」の630mlビンが出てきた。懐かしい(^O^)7元

この写真は、実は、ホテル近くの上海路店である。(西安路店の写真撮り忘れ)
ただ、どの店もイメージ戦略から、外観は同じである。

市電202路線で終点まで

終点の場所は2004年6月行った時と同じであったが、駅名が変わっていた。
2004年は「北河口」であったが、今は「小平島前」に変わっていた。
 
「麦凱楽」西安路店前
 
星海公園前
 
 
 
ソフトパークはドンドン拡大しているようであった。DELLのサポートセンターもあった。
 
ぐるっと曲がって、しばらくして終点だ!
 
折り返しの操作場
 
 

終点「小平島前」でもトイレがない。ここには、市電駅員の詰め所もある。
市電はほぼ女性により運営されており、この人たちのトイレはどうなっているのだろう?余分なことではあるが、心配である。

詰所の横に塀の裏に出る小道があるので、二人はそこでオシッコをした。ここはほとんどゴミ捨て場状態だった。ちり紙やモップなどが散乱していた。ヒョットして、駅員もここをトイレ代りに使っているのか?モップは電車を掃除したもの?イヤハヤ(^レ^;

とにもかくにも、オシッコした後、表に出てくるときの、気まずさは何とも言いようがない。
なんとかして欲しいものです。

 
帰路
 
 
興工街に戻り、昔のマンション周辺の変貌ぶりを観察

マンション横のシシカバブー(羊肉串焼き)店の母屋?から異様な煙?
その向こう側はきれいさっぱり壊され、すでに高層ビルの建築中だ!
ここも時間の問題だ!

 
「その向こう側」には低い建物が完成間近だ!ひょっとしてこれは一般住宅?

 
串焼き屋の隣の果物店も元気だ!左側:マンション、右側:第八中学  マンション裏通りから建築中の旧スラム街
 
第八中学校は全面改築中

大野君に電話。在宅だったので、遊びに行く。

このマンションのエレベータは独特である。奇数階用と偶数階に分かれている。
奇数階へ行くエレベータ>単層(
dan1 ceng2)、
偶数階へ行くエレベータ>双層(
shuang1 ceng2

春節でも仕事の対応で山田君と二人は臨戦態勢におかれ、帰国できない。
陣中見舞いを兼ねて、昨今の経済危機とその影響について雑談せり。

ご多分に漏れず、会社は極端に受注が減っている。
そこで、昨年12月首切りを断行した。(約80名)

結果、年明けから首切った社員が、連日入れ替わり立ち替わり抗議に押しかけた。
春節前の1月中旬からは激しさを増し、危険を感じるほどの事態となる。
日本人駐在員は一時、マンションからホテルに避難したほどであった。

今回の金融危機から始まった経済悪化はあまりに急激であり、中国ならずとも世界中が混乱している実態である。日本でも、全産業でリストラ(人員削減)が行われている。職を失い、住む所を失った人々が何十万人も発生した。

日本も中国ほど過激ではないが、職住を失った人々による抗議行動が始まった。
ただ、同時にNPOや自治体による救済活動も始まっており、国民的な救済に向けて、助け合いが動き始めた。

中国では率直に言って、人々が「助け合う」という国民性ではないように思われる。
特に経済社会では顕著だ!他人は他人、自分は自分である。自分さえ良ければ、周囲が迷惑しても関知しない。

義理人情はないわけではないが、自分にとってのメリットがあるかないかに左右され、心からということを期待するのは無謀である。

例えば、会社が一生懸命技能技術を教え、職業能力を育成しても、その能力を別の会社に高く売り込み、転職する人間が多い。これは、アメリカと全く同じ傾向で、中国は「利己主義」の国家である。

会社の教育により能力向上したにも関わらず、この恩義を忘れ、他の企業に自分を売り込む、薄情さにはほとほとあきれる。このような人間集団では、一時期繁栄を謳歌できるかもしれないが、長期的には疑心暗鬼の組織となり、世のため人のためになる企業経営はできないと思う。

中国5000年の歴史の中で、培われた人間観、人生観、職業観がこんなものであるなら、歴史の長さを誇る(自慢)資格はない。中国人には強く反省を促したい。

最近、中国では集団の抗議行動が多発している。このような集団は一般的に共通した利害関係を持っている。しかし、利害関係だけの集団では活動は長続きしない。
「他人を思いやる気持ち」が根底に欲しいのである。

部屋にゴルフセットが2組あった。いつかこのクラブで一緒に大連でゴルフやろうと約束する。クラブを持って来なくてもゴルフができる(^O^)

マンションから西安路周辺の景観を確認>星海方面から徐々に右方向(西)に転回する。

 
麦凱楽、大連商業城 旅順口方向

 
馬蘭子方向 旧長興市場前広場
   
聖金広場(左端は五四広場、右端は西安路、手前下は消防署)  
興工街交差点界隈

この辺りも2005年に完成した「新天地広場」でがらっと変わった。
記録写真も2003年更地化、2004年建設着工までで、2005年の竣工は見ていない。
2006年は写真なし、2007年は写真2枚、2008年は写真なし。
という状況で、ほとんどフォローしてない。

今年は念入りに記録しました(^O^)

正面の十字架のある建物は興工教会です。
この交差点に歩道橋があった2000年当時からここに存在していた。
周りの再開発に合わせて、この教会もきれいに新築された。

   
 
<参考>
2004年1月基礎工事が始まっていたが、
この教会(正面奥)はひとりポツンと残されていた。
2004年6月建物の姿が現れ始めたが、まだ昔の教会のままでした。

興工街交差点
ここは市電201路線と202路線のターミナルで、交通の要所です。
近年、大連の副都心としての再開発が急速に進んでいる。
 
15:20>興工街から市電201路線に乗る。
大連駅から長江路へ下車することなく、連続して乗車できる(^O^)
従って、興工街から勝利橋前まで1元で済んだ。


昨年はまだ線路がつながっていなかったので、大連駅で乗り換えさらに1元必要だった。

 
ホテルに戻り、王鴻雁からの電話を待つ。16:00王さんがホテルにやってきた。
お土産持って(^O^)広州の銘菓と澳門の銘菓「甜老婆餅」である。
 

 

しかし、二七貿易新世界で買った、ピアノカバー2個が大きなスペースをとるのでスーツケースに入るかどうか心配(^O^)

王さんと星海広場へ>花火は19:30から20:00までの30分

17:30頃>会展中心前から先は既に車両進入禁止のため、手前でタクシーを降りる。
まだまだ花火大会までは時間が2時間ほどある。見物者は寒さしのぎのため会展中心横の真赤なネオンがまたたく地下への階段付近で暖を取っている。

我々も入ってみる。
耳をつんざくような、大音響のディスコダンスミュージックが流れている方向に階段を降りる。

と、係員が出てきて、カラオケしない客は入場禁止という。
我々は花火を見にきたのであって、カラオケしに来たわけではないので、退散。

 
花火会場へはヒトヒトヒトで思うように進めないくらいだ!
ここからは車進入禁止だ!何組ものカップルが寒い中、抱き合っている。
今日は奥の国際展示場も全館点灯して、正月気分である。
多分、市政府要人や企業要人などが、暖かいこの中で、春節花火大会を見ていることであろう。
 
花火はまだまだズッと向こうの方だ!
 
途中できれいなイルミネーションと共に記念写真を撮りながら、花火がよく見える場所まで前進する。
 
トーテムポールの中央広場も昼間とは趣が違う。
   

 

消防車と煙を吹き飛ばす、専用車も配置されている。

 

トーテンポールのある中央広場の南側にはセレモニーの舞台があり、花火はその少し先である。これ以上進めない位置にはロープが張ってあり、公安が警戒している。
我々はその少し後ろの、ちょうど生垣があって人垣の途切れた位置を発見し、確保した(17:30頃)

周りはひとひとひとであるが、時間とともにさらに増え、体を動かすこともできないほどだ
我々の隣に公安の制服を着た人がいる。ここで、最後まで警戒していた。
お役目ご苦労さんです。待っている間にも、たくさんの公安がアチコチ見受けられた。
警備要員が点々と配置され、不祥事に備えている。

見物者は一体どのくらいだろうと計算してみた。

見物者のうち、打ち上げ近くで見る人は、実質100m四方(1万u)とすると、1uに4人で4万人となる。遠くで見る人はこの倍以上いるとして、10万人近くの人が集まっていることになる。

従って、警備要員も膨大な人数になると思う。
おかげで最後まで、騒ぎもなく安全な花火大会であった。

 
寒さはそれほどでもなかったが、さすがに海方向から冷たい風が吹き付け、顔がヒリヒリする。(気温−1℃)
ただ、この風が花火の煙を吹き飛ばし、真下で見ている我々に素晴らしい花火を十分堪能させたのであった。
 

花火はプログラム通り、20:00きっかりに終わった。

30分間絶えまなく打ち上げられる花火は文句なしに、素晴らしい!!
日本ではこのような激しい花火はないのでは、と思う。

両国や長良川や北陸高岡でも途中、段取りのための休憩はある。
大連の花火には休みがない。余程仕掛けとプログラムの連携がしっかりできているのであろう。感服した!
寒い中、2時間待った甲斐があったというものです(^O^)

2001年の春節花火の話を出口君も眉唾、疑心暗鬼で聞いていたと思うが、これでその疑いが晴れたと思う。とにかく、素晴らしいの一語に尽きる。寒さの中、これほどの人が見に来るには、それなりの理由があるのである。

 

19:30から20:00まで、4章に構成された一大スぺクタクルを、ご覧ください。

Windowsフォトストーリー3(3分20秒、7.45MB、640X480)
(以下の写真40枚をフォトストーリー3にまとめたもの)

終了間際のスターマイン動画(By出口)

これだ!>MPEGムービーファイル3MB、17秒

 
帰り道、広場の出口付近で、花火の殻を見つけた。こんなのがいっぱい降ってくる。
ちょうど海の方向(西)から風が吹いていたので、煙も殻も見物者の上を通り過ぎてくれた。
このことも、素晴らしい花火を観賞できた要因だ(^O^)

この後、近くの日本料理店「清水」で食事する予定であった(楊さんも来てくれる)が、不運にもお休みであった。残念!そこで、ホテル近くの日本料理店(25日営業有無確認済み)に変更。楊さんにも連絡する。 

ただ、星海からの帰り道はすさまじいほどの地獄道になってしまった。

タクシーに乗りたくても、そのタクシーが見当たらない。
見物人が一斉に帰るとき、幅50m道路は真ん中少し残して、ほとんど人間の河と化した。
自家用車で来た人も、勝手には走れない。市電で来た人、バスで来た人が道路の隅々まで埋め尽くしている。

バスは和平広場辺りで待機しているので、バスで帰る人は、ここまでは歩かなければならない。
市電も超満員で、いつになったら乗れるのかわからない。

従って、ほとんどの人はタクシーが拾える適当な場所まで歩かなければならない。

星海から中山広場まで6.5Kmの道標あり(私の足なら1時間半くらいでは歩ける)
しかし、中山路は星海広場方面大渋滞、帰り方向はタクシーを拾う人で数珠つなぎ。
簡単には拾えない。

歩きながらタクシーを待つ。が、我々と同じようにタクシーを待つ人々がいっぱいだ!
とうとう、奥林匹克広場の手前、昔の日本料理店「清水」があった場所まで来てしまった。
2.5Kmは歩いた計算だ!時刻も21:00を過ぎた。
これでは夕食も危ない。王さんは楊さんに迎えに来てもらうよう電話で要請。

楊さんの自宅付近ならタクシーはいくらでもある。しかも今、我々は星海広場から離れた位置「奥林匹克広場」近くにいるので、タクシーも難なく走ってこられる。

しばらくして楊さんの乗ったタクシーが目の前に止まった。
この場所は彼女もよく知っている。「清水」によく来たから。

それではと、延安路の日本料理店目指し走る。
でも時刻が22時近くなってきた。まだやっているかどうか不安だ!
なければ、他にも春節開店している日本料理店は調査してあるので、心配はない。

店の名前までは記憶にないが、延安路に間違いなくあった。「日光」という店であった。
(タクシー代25元

客(中国人)もチラホラいた。とにかく、ほっとした(^O^)
食べ放題200元を勧めてきたが、そんなに食べれないので断る。

単品でつまみ類と寿司盛合せ、刺身盛り合わせなどたくさん注文。
まずは全員ビールで乾杯!
その後2人は、燗酒(朝香)と焼酎(芋)のお湯割りをしこたま飲む。

とてもよい気分だ!料金は625元だった。食べ放題200元よりずっと安かった。
@156元、@2200円

もうすぐ日日が変わる時刻だ!我々2人はお先に、ホテルで失礼する。

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2009年1月28日水曜日>初三<ショッピング、現代粗粮

明日は8:05発の中国南方航空で帰国する。従って、今日は大連の街を散策できる最後の日となった。
ずっと晴れた快適な日が続いている。歩いて大連駅方面へ。

駅前から駅裏への地下道周辺は相変わらずの露天商と人ごみでごったがやしている。

 

物乞いも依然として多い。中国は今、相当な勢いで豊かさが実感できる状況にある。
しかし、このような光景は至る所で見受けられ、あまり多いのでこのような状態が異常であるとは思えない。
すなわち、今やこの「物乞い」が、立派に職業化しているのではとも思えるのである。
発見する都度、写真を撮るわけにもいかないので、今回旅行で初めて撮らしてもらった。
 
子供の病気を治す治療費の寄付願い。
事情を説明する手書きの書面の前には大勢の人が立ち止まる。
(当の子供と親?は近くの公衆厠所へ行って留守)
頭を地面につけて、恵みをお願いする老人?
誰も入れる人がいないのに、入れ物には小銭が入っている。
 
人の往来が激しいところには必ず、清掃婦が居る。
原因は「人」が「ゴミ」を捨てるからであるが、「人ゴミ」とはよく言ったものである(^レ^;
 

駅裏の双興商品城は来週までお休みだった。

従って、干支の携帯ストラップは買うことができない。
そこで、営業中の勝利広場地下商城で探すことにした。

駅裏からガードをくぐり、トロリーバス乗り場横から、地下に入る。
ここは「大連宏浮国際酒店」の地下で韓国系商城である。が、まだ開いている店は少ない。

ウロウロしていると、入ってすぐ右側に目当ての翡翠細工専門店があった。
店名は「広州玉玲龍翡翠玉雕廠」。
この店は駅裏の双興商品城4階B区にもあるようだ。

ここに、背が高くイケ面の男がいた。>袁大勇yuan2 da4,yong3
彼に@10元の干支ストラップを15個注文(150元)>友人知人へのおみやげ 。
加えて、今年の年女である楊さんと王さんには牛年にちなんだものをプレゼントしようと、探す。

翡翠に牛を彫った首輪があった(65元)。
この彫り物(大きさ:幅2.5cm、長さ5cmくらい)を利用して、さらに石を追加し、腕輪を作って欲しいと注文。値段を100元で、しかも全部で17個を今日15時までに作ってもらうよう依頼。彼は可能だという。合計350元を前納し、領収書をもらう。

ブラブラ地下商店街を歩く。閉まっている店もあるし、通路の真ん中に飛び出た店もある。
韓国系は休まず頑張っているようだ!

通路に飛び出している店から元気の良い声が聞こえる。張りのある、おばさんの声だ!
日本語もかなり達者だ!10年くらい日系企業で働いたという。

嘘かほんとか?娘さんが広島大学留学中とのこと。
名刺もらった(^O^)「瑪瑙玉石印章店」孫淑敏さん。
出口君は篆刻用の石を4個100元で買った。
私は、その熱心さにほだされて、昆虫を樹脂で固めた携帯ストラップを4個購入@12元=48元

その前の店?から女が2人出てきた。店なのか何なのかよくわからない。
入口のドアは新聞紙で、ガラス戸は布で覆われ、室内が見えないようになっている。
一見していかがわしい(^レ^;強引に中に引きずり込まれた。
中には高級ブランドのカバンやベルトなどが並んでいた。みんな偽物だ。

名刺には店名がそのものズバリ「ブランド店」とある。
が、正確には「偽ブランド店」だ(^O^)さらに、キャッチコピーがふるっている。

「安心・安値・高品質
店」なぜか「の」ノ字が大きな太字?

女物のバッグをしつこく勧められたが、スーツケースに入れるだけのスペースがない。
持っていくとしても、女物ではすぐにバレテしまう。次回はカバンを持って来ずに、ここで買い、土産物を入れて、機内持ち込みすることにしよう。

あまりしつこいので、かわいそうになってGUCCIのベルトを買う。
@180元というから、出口君と2本にして@100元で決定。
出口君は穴が合わず、あけ直す。メタボー(^レ^;

ホテルに帰って、お土産などをスーツケースに整理。

出口君は大形スーツケースであるから余裕であるが、私は小形ケースであるから困難を極める事態に思案投げ首。諦めてしばし休息。

楊さんから電話で食事の場所と時刻の連絡あり。時刻は17:00。
場所は星海広場の三宝粥店付近の海鮮料理店「現代粗粮」
xian4 zai4 cu1 liang2

「粗粮」とは米、小麦以外の雑穀>トウモロコシ(コーリャン)、豆類などのこと。

16:00ホテル出発>時間はたっぷりあるので、市電でゆっくり出かける。
大連駅から市電201で興工街へ、つづいて市電202で星海広場まで。
ここから歩いて目的地まではかなりの距離がある。
しかし、出口君にそれを言うと嫌がるのではと思い、「すぐそこ」と、ごまかした。
が、まだまだかなり遠いということは、星海広場の外周部を歩いてすぐにバレテしまった(^レ^;

今回、始めて星海広場内の芝生を歩いたが、フカフカであった。
根が深く張っているようだ。公安に見られないように注意深く歩く。

ここでも大連の恥部「植木の陰の大便の痕」を見る。それも尋常ではない量だ!
市政府は直ちに、公衆トイレを設置すべきである。
それとも、人間の糞尿を芝生や樹木の肥料として利用するつもりなのか??

目的のレストランは三宝食府の裏手であった。
楊さん家族はまだ家を出たばかりと電話連絡あり。しばらく、周囲を散策する。

 

川は引き潮でそこが見えている。川向こうの左側の建物は温水プールのようだが、今まで気が付かなかった。
営業しているのであろうか?高級マンションの間に見えるのは「貝殻博物館」

久しぶりに劉くんに会う。
楊さんの父母は親戚の来宅で欠席(我々との食事が自宅ではできない理由でもあった)

代わりに、お姉さん家族とお姉さんのいとこの娘さんの全6人が、見覚えのあるホンダのCR−Vでやってきた。この車は平野君と来たとき、劉君と楊さんに旅順から濱海路を周遊してもらったことがある。実は、お姉さんの旦那さんの車であった。

お姉さん夫婦は旅順在住で、ご主人は会社を経営している(55歳)。
子供は1人で30歳の独身男性(無口でおとなしい人であった)
お姉さんのいとこの娘さんは24歳の大学院生で専攻は「管理」、進路は未定。
英語が堪能とのことであったが、一言もしゃべることがなく実力のほどは不明。

まずは、科言君に挨拶(^O^)抱いた途端に泣かれて、みんな大笑い!
楊さんに写真3枚撮ってもらったが、帰国後、確認したら1枚ピンボケで残念だった。

 
 
楊さん、お姉さんと私達と4人で、料理の材料を注文。私の好きなネタをしっかり注文した。
 
食事の前に、科言君へのプレゼントを渡す。
お母さんのシャドーボックスアート作品「こいのぼり」と、
中部空港で買った「陶翔」の木製手作り「ぶたさんガラガラ」1575円。

裏には、科言君が大きくなってから読むように、メッセージを付けた。

さらに、年女へのプレゼントとして、翡翠干支(丑)入りブレスレットを渡す(@100元)
ついでに、王鴻雁にも渡してもらうよう事ずける。

しっかりごちそうになった。帰りはお姉さんのご主人にホテルまで送ってもらう。
楊さんから明日は空港まで送るという。必要ないと断ったが、お土産を忘れたので渡したいという。もらっても、スーツケースに入らないといったが、どうしてもというので、いただくことにした。

 

ホテルに帰って、荷物の詰め込みを根本的に見直す。
ピアノカバーなどの軽いものは手提げ機内持ち込み。

ホタテ貝柱や王さんのお土産など、食べるものはスーツケースへ。
高級茶10個はできるだけスーツケースに納め、できないものはビジネスケースで機内持ち込み。
楊さんの土産はスーツケースに入らないので、そのまま機内持ち込み。
 

以上、機内持ち込み手提げ袋2個の手の部分をひもで強く結んで一体化する。
これで、機内持ち込み荷物はビジネスケース1個と手提げ袋1個となり、両手で運べる(^O^)

2009年1月29日木曜日>帰国

大連空港8:05発CZ619(中国南方航空)

霧が深い!ちょっと心配だ(^レ^;離陸時刻には晴れて欲しいものだ!

6:10フロントへ>クレジットカード>1日400元X7日間=2800元、39,200円
(@19,600円―1日@2800円)

6:20出発>タクシーは昨日、フロントに依頼。途中、楊さんのアパート前に立ち寄り、一緒に空港へ。

6:50空港着、楊さんのお土産を手提げできるよう結び付ける、パスポート提示して入場
(楊さんと別れる)、

登場手続き、税関で出国手続き(パスポート&出国カード)、検閲(搭乗券提示)

無事、通関できた。空港で待機してもらっている楊さんに報告。

通関が順調だったので、余裕がある。
市内では売っていなかった、ママ先生へのお土産化粧品「迷奇」を探す。

ありました(^O^)このブランドはここでしか売っていないようだ!
ということは、ここでは結構売れている?
乳液2種類@61元とクリーム1種@84元の3種類買う>206元(2884円)

ただ、売店の売り子の態度は最低であった。
隣のテレビを見て、大笑いしており、客をほとんど無視状態。なっとらん!もっと教育せにゃあかん!

予定通り、出発便に搭乗したが、定刻8:05になっても一向に走りださない。
それもそのはず霧が深い。しばらくして、状況のアナウンスメントあり。

 

急いで、携帯にスイッチを入れ、楊さんと王さんに連絡するがなかなかつながらない。
そこで、大野君に出発が遅れることを日本の奥さんに連絡してもらうようお願いする。
(日本での迎えは到着時刻を確認してから家を出て欲しいから)

このまま機内で待つこと1時間半、ようやく動き始めた。離陸は9:45(大連時間)であった。
楊さんと王さんには離陸ギリギリに連絡とれた。携帯を切るよう、パーサーに注意されたほどであった。

 
飛行は順調で、霧の影響は皆無であった。
中部空港は快晴で12:45(1時間半遅れ)無事着陸。

皆さんありがとうございました。下次見(^O^)/〜〜


 

追伸

今回、中国南方航空の機内誌が面白かった。
現在、翻訳中ですのでしばらくお待ちください。

題目1、中国消費進化史
題目2、山寨

 

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