3月16日>中国2日目

午前>天安門、故宮、景山公園。午後>頣和園

起床6:00、朝食7:30、ホテル発8:30。朝食は友誼賓館内のレストランで。
献立は典型的な中国式朝食で、おかゆと中華パン(マントウ)に5種類くらいの冷たいおかず(涼菜)残念ながら写真がない。これから2週間、毎日朝食は食べるので、少々お待ちください。
 
友誼賓館横には国際人材交流協会の建物がある。
 
ただちょっと心配なことがある。朝起きたらのどが痛いのです。
私はのどに弱点があり、ホコリっぽいところや乾燥した季節は弱い。
もちろん、中国は雨も少なく、乾燥しているということを聞いていましたから、のど飴をたくさん持ってきた。しかし、日本製ののど飴が中国の風土に対応できるかどうかは大いに疑問です(^レ^;

お金がありませんのでホテルで両替しました。
レートは1元21.324円です。20,000円で938元でした。

 

 

最初の訪問先「天安門・故宮」へ向かう、途中の街の風景をご覧ください。

黄色い新型小型タクシー(一般的なタクシーは、向うに見える赤色の車) 2000年北京オリンピック誘致看板は至るところに掲げられている。
 
4〜5階のアパート群が延々と続く街並み。
自転車リヤカーがたくさん走っている向うの歩道で中国独特の朝食文化が見られる。
 
中国の都市部では朝食を自宅で作る習慣がないそうだ。
特に貧しい人々は毎日、このように野外の食堂で食べる。
子供達も学校へ行く途中、このような露店で食べてから登校する。
 
北京には地下鉄がある。中国語で「地鉄」ditieという。
 
有名な新華社前を通過すると、間もなくで天安門広場。

 天安門広場

天安門広場は東西500m、南北880mの世界最大の広場だ。 広場から故宮を望む。天安門前の道路はとても広く、人は手前に見える地下道で渡る。
 
左写真の正面奥に見えるのが天安門、右写真正面は人民大会堂
 
広場中央部には様々な戦勝記念モニュメントがある。
それにしてもたいへんな人です。こんなに広い広場も狭く感じるほどです。
 
警備は厳重であるが、警備員は観光地にふさわしく、置物のようにユーモラスであった。

 

天安門

歩いて故宮の表門「天安門」に向う。噴水で我々を迎えてくれる。
天安門の入口頭上には巨大な毛沢東の肖像画が掲げられている。
  天安門は幅20mくらいです。
 
天安門を抜けるとちょっとした広場があり、土産物売店がある。

売店の国産カメラは410元から580元。
1元約21.3円であるから8700円から12400円である。
カメラ店の前はものすごい人だかりである。珍しいのであろう。
当然であるが、私のようにビデオカメラを持っている人間は皆無であった。

 
天安門に登った。登門料は40元(840円)。天安門参観記念は洒落たハート形バッジであった。
 
この後引き続き「故宮(紫禁城)」を見学する人は別に「故宮博物院参観券」が必要である(30元)
 
天安門からは広場が一望の下に見渡せる。壮大な眺めである。
写真の上部両側に地震波のような傷は8mmビデオの画像の乱れです。
この傷は今後もたくさん出てきますが、ご容赦ください。
 
ビデオの映像を切り貼りしてパノラマ写真を作ってみました。
左から??、中央は英雄記念館、右は国会議事堂(人民大会堂)
 
天安門内部は撮影禁止でした。
が、この8mmビデオはフラッシュがないので、撮影していても警備員には解りません(^レ^;
以後も、禁止区域で取った秘蔵の写真がたくさんあります。ご期待ください(^O^)
 
天安門から記念写真。(ガイドの劉君に撮ってもらう)
 
端門を通り抜けると、四方を城壁に囲まれた広場がある。
トイレ休憩(トイレは有料で2元約40円)水洗ではないので異臭がたちこめ、ムッとする。

故宮(紫禁城)

みんなの後をゾロゾロとついていくと、再び門がある。ここが故宮への入口「午門」(ごもん)である。
故宮は北京の旧市内のほぼ中央部に位置する紫禁城のことである。

故宮は明の永楽帝が首都を南京から北京に遷都した1406年から20万人の労力と15年の歳月を掛て築いた宮城である。
以来、490年の間、明と清2大帝国(皇帝24人)の皇城(紫禁城)であった。

故宮は1961年中華人民共和国国務院により、全国初の「重点文物保護単位」となり、
さらに、1987年ユネスコの世界遺産に指定された。

故宮は東西760m、南北960m、高さ10mの壁に囲まれた72万uの敷地のなかに、60棟以上の建物があり、9000を越える部屋がある。
明代では9000人の宮女、宦官10万人が住んでいたといわれる。

故宮には四面に城門があり、いま我々が通ってきた南の「午門」は参観者の入口となっている。

北の「神武門」は出口で、ここからつぎの見学先「景山公園」へは目と鼻の先であった。

午門をくぐると外廷で、正面に見えるのが太和門である。
太和門手前の階段部には立入禁止になっている龍の彫り物があり、門内には故宮の見取図や解説板がある。
 
太和門をくぐると雄大な広場が眼前に広がる。みんな思わず「ほーーー!!」と、しばしボーゼン。
正面に見えるのが中国最大の木造建築物「太和殿」である。
ここでは、皇帝の即位式、元旦の儀式、詔勅の発布など、国家的式典が行われた。
   
太和殿から中和殿への通り道に大きな銅の甕が2個配置。
宮殿にはいたるとこに配置されている。が、いったい何の目的であろうか?
 
中和殿の裏側、保和殿の前。
 
保和殿を過ぎると、目の前に再び雄大な眺めが入った。ここまでが外廷である。
太和殿、中和殿、保和殿の3つの宮殿が紫禁城の中核である。

正面(乾清宮)から先が日常生活を営む「内廷」になる。

内廷周囲には外廷とは比べ物にならないほどの甕が配置してある。ガイドの劉さんに尋ねると教えてくれた。あれは「防火用水」で約800個ほどあり、冬になると凍結するので、薪を焚いて融かすとのこと。
さらに、ここには9999の部屋があるという。私が「なぜ10000ではないのか?」
と、質問すると、「それは皇帝が奥ゆかしかったから」と答えた。

 
内廷から外廷の保和殿への入口階段にはこれまた見事な龍の石彫刻が設置されている。
長さは30mくらいです。ご覧ください。
途中、わき道にそれたが、ここが広々とした宮殿と違いものすごく狭く感じる。
人ごみのなかで、ヒヤッとしたことがあった。

押し合いへしあいで狭い通用門をくぐった時、
何気なしに腰のウエストバッグを触るとチャックが開いていたのである。
とっさに周囲を見渡したが、周りはみんな怪しげな中国人ばかりで、特定できない。
中を確認したが、取られた物はなかった。用心のため、金は3つに分けてポケットに入れていた。

 

 

景山公園

景山は永楽年間、紫禁城造営の際に濠を掘ったときの土砂と、古い城を取り壊した時の瓦礫で築造された。高さ92mで5つの峰を持っている。

景山の最高峰「中峰」の展望所から故宮を眺める。天気が悪いため霞がかかってよく見えない。
右に見える池は人工池で、この土砂も山作りに利用された。

 
天安門広場から天安門、故宮、景山公園とあわただしく参観したが、
ビデオを撮るのが精いっぱいでゆっくり出来なかった。
丸1日くらいの余裕のある旅程が欲しいところであった。
 

 
景山公園から昼食先の市内へ向う途中、城壁の周囲を走る。
 
昼食は宿泊所「友誼賓館」前の大衆食堂で食べる。
 
ビールは「北京啤酒」(酒の字の左側は文字化けするかもしれない)>碑<この字の石偏を口偏にする。ワインを「ぶどう酒」と言ったら、甘いポートワインが出てきた。無理して5人で飲んでしまった。

頣和園

(いわえん)

「頣和園」も「故宮」や「景山公園」同様に1961年、国務院によって全国重点文物保護単位になっている。

「頣和園」は12世紀「金代」に創建されている。
以後の皇帝も引き続き増改築し、清の乾隆帝は数倍の規模に造営した。
しかし、1860年の第2次アヘン戦争で英仏軍に略奪破壊され、焼き払われた。
今の姿に再建したのは西太后であるが、巨額の軍事費を使ったので、日清戦争に負けたと言われている。ここも故宮同様、広大な広さである(290万u、約88万坪、東京の皇居が13個分)
半日ではとてもとても無理だ。またいつか、ゆっくり来たいものだ。

 
頣和園へはどこから入ったかよく解らないが、ガイドブックから判断すると、多分「北宮門」のようだ。
 
案内図の前で、ガイドの劉君が一所懸命説明している。

ここから入園して、こういう風に進み万寿山に登り(左)、ここの仏香閣を参観し(中)、
長廊を通って、正門の東宮門から帰ります(右)かな?

この図は焼失する前の頣和園です。
昔はこんなに大きかったのですよ!
これから行くところはここです。かな?(^O^)
 
入口近くには、英仏連合軍による焼失後、
蘇州街を復元した130周年記念碑が建っている。
長橋から左右を見渡すと、その絢爛豪華さには息を呑むほどです。栄華を極めた皇帝たちの傍若無人振りがうかがい知れる。
 
長橋からは細長い湖の両岸にはたくさんの家が並んでいる。
「売買街」の表示がある(現在は土産物店になっている)湖面は薄く凍っている。

東側

 

西側

 
これから万寿山に登り、仏香閣を参観します。広いのはこのあたりだけです。
 
黙々と狭い階段を登ります。
 
ようやく頂上です。急坂ですからさすがに息が切れます。
仏香閣手前の壁門内にはいずこも同じですが、落書きがありました。
 
頂上から昆明湖を望む。
いままで登って来た「万寿山」はこの湖を掘ったときの土で作ったものと言う。
何しろ話がでかい!さすが、4000年の歴史中国です。脱帽!!
しかし、これを作るのに、いったい何人の奴隷のような人民が犠牲になったことであろうか?
 
仏香閣は20mの基石の上に41mの8角4層4重の塔である。
 
長廊には見事な花鳥風月を描いた木版が天井に掲げられている。長さは約730mとのこと。へえーーー!
   
帰りは、逆にひたすら下ります。
 
中国独特の世界観から生れる架空動物の置物。左右一対がにらみを利かせている。
 
長廊はまだまだ続いている。
 
ところどころにある踊り場のような場所には大きな絵が掲示されている。
これは戦の風景のようだ。
 
  出口到着
ここが本来の正門(東宮門)で、たくさんの観光客がいた。
また、入口付近には郵便局もあり、みなさん故郷へ記念葉書を送っていた。
 
頣和園でもトイレに入りました。ここは珍しく無料でしたが、なおさらのことトイレ独特の鼻をつくアンモニア臭は強烈でした。この当たりが、外国人客にとっては我慢ならないところであり、国際的観光地としては大問題でもある。
衛生的な生活環境がいつころ実現するかは、中国人の自覚がいつころ芽生えるかで決まると思う。
 

 
夕食は昼と同じホテル前の「燕興飯庄」、時間もあったので、部屋でゆっくり出来た。

テレビのチャンネルをガチャガチャ回して一通り内容を確認する。以外にチャンネル数は多い。
また、さすが四つ星ホテルです。NHKの海外衛星放送も受信できる。

歯磨き粉のコマーシャル>熱いラーメンや、冷たいアイスクリームを食べて歯が痛い。

 
衛星放送>国際ニュースとNHK
 
9時ころ自宅に電話した。7分で94元(約2000円)<たかーーーい!!
 
奥さんからのどがかれていることを指摘される。

次ぎに進む>1993年3月17日(水)

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