3月17日>中国3日目

北京 ⇒ 西安

朝起きて、喉の痛みを感じる。炎症しているのか黄色いタンが出、喉が枯れてきた。
また、顔にクリームなど付けたことがないが、顔がヒリヒリ、カサカサしてきた。
ちょうど、夏場のゴルフ後のようだ。
起床4:30、ホテル発5:25。北京空港着6:00。  
搭乗手続き  
   
7:15 ジャスト離陸。Air Chinaは6人掛けシートでたいへん狭い。
搭乗記念のタイピン(エアーチャイナのマーク)をもらった。
 
隣にガイドの劉君が座る。少し豊田市のこと、会社のことについて話しせり。喉が痛いのであまり会話が出来ず、残念であった。劉君は西安に着いたら喉の薬を探してくれると言う。

劉君は毎日のガイドで疲れたのか、ぐっすり眠っている。私はガイドブックの「西安」を読んで予備知識を得る。8:00ころ機内朝食がでる。

 
8:45西安空港着。一面雪景色。南に2000Km以上移動したのに雪とは驚きました。
 
空港には長い髪の女性ガイドが迎えにきていた。彼女は陝西省国際人材技術交流総公司の秘書で「崔霞」さんという。ただ、英語はOKだが、日本語はまったくダメであった。
 
迎えの車(トヨタのマイクロバス)に乗り、雪降る西安の街をホテルに向う。
 
10:00 ホテル「古都新世界大酒店」に到着。
 
相当立派なホテルです。この写真はホテルのポストカードです。
 
吹き抜けのロビー壁面には巨大な王宮絵巻が描かれている。
 
 
部屋に荷物を運び、着替えて、博物館見学に向う。
部屋はこんな感じです。まったく申し分なしです。
 
窓から大通りが見える。路面は濡れ、屋根にはまだ雪が残っている。車とまばらな人が行き交っている。
 

 
部屋を出て、廊下から中庭が見える。そこにコンクリート製の巨像がある。物語風なつくりは、なにかいわくがありそうである。あとで劉君に尋ねよう。 私はとっさに「三国志」を思い浮かべた。
つまり、劉備元徳、孔明、関羽または張飛だと思ったが、劉君に寄れば「秦の始皇帝」の物語だと言う。
 
さて、次の目的地「陝西省博物館」に向う。
鐘楼や城門が至るところに見られるのが古都「長安」、現「西安」である。
   
もちろん中国で大流行中の日本文化「カラオケ」があちこちに見られる。
   

   

西安の紹介

紀元前11世紀頃(周王朝)から「秦」、「漢」、「隋」、「唐」など11の王朝が2000年にわたってここに都「長安」を置いた。特に漢代の200年間、唐代の300年間は西域との交流が盛んで、シルクロードの東の起点として栄えた。長安は人口100万人を越え、異国情緒あふれる国際都市であった。

しかし、唐の滅亡とともに破壊され、明代になって「西安」として再建された。
市の内外には、秦代、漢代、唐代の史蹟がたくさん残っている。

今回はその中から6ヶ所を2日間に渡って参観する。
(陝西省歴史博物館、兵馬俑博物館、大雁塔、華清池、碑林、古城)

 

陝西省歴史博物館

<古代(紀元前11世紀ころ)から清代までの文物を収蔵する>
 
博物館に着きました。入場券を買い(24元、約500円)、中に入ります。
 
館内は撮影禁止ですから、入口ロビーしか紹介できません。
   
博物館のなかの売店で今回の旅行最初の土産物を買う。

掛け軸2本>ボタン大980元、ボタン小860元=1840元(38,640円)を交渉して、日本円3万円で買う。筆2組>小筆3本組(イタチ毛)90元(1,890円)、太筆1本(オオカミ毛)100元(2,100円)

帰り道で、デパートに寄りたいと希望する。日本の職場仲間におみやげを買いたいからであるが、できれば中国の庶民的なものがよいと思って、 中国人が利用するお店をリクエストした。しかし、結果は外国人向けの「友誼商店」だった。ここでは欲しいものなし。
まだまだ旅は長いのでいくらでもチャンスはある(成都、北京)

   

 
夕食前のひと時(約1.5時間)、3人で街を散歩した。
雑踏のにぎわい、屋台での市、小雨まじりのなかで逞しく生きる中国人を見た。
ちょうど、自分の子供の頃(40年前)のような風景(道はデコボコ、ドロドロ)であった。

ただあとで、勝手に街の中を出歩かないようにと注意された。
我々は中国にとっての賓客なので、もしものことがあるとたいへんなのである。

歩道脇の小さな商店を眺めていたら、今日、陝西省歴史博物館で買った「ボタン」の掛け軸に書かれていたサインと、同じ名前のタバコが目に付いた。いわれがありそうだったので買いました。

 
日本に帰って、「漢詩名句辞典」(鎌田正、米山寅太郎共著)で調べたら、ありました。
王維(唐)の五絶「想思」でした。
紅豆生南国
春来発幾枝
願君多採襭
此物最相思
紅豆 南国に生ず
春来たれば 幾枝を発す
願わくは君多く採襭せよ
この物 最も相思はしむ
 
紅豆は、四川省などに多く生ずるマメ科のつる草で、南天のような赤い小さな実を結び、薬用や装飾に用いられる。ある女が、辺境で死んだ夫を慕って嘆き死に、この豆になったという伝説があり、その実をとって人に贈れば、一種の花言葉のように、恋心を打ち明けたことになる。
 

 
夕食はホテルのレストランで中華である。が、そろそろ脂ぎった中華も飽きてきた。

入口では可愛い案内ガールが笑顔で迎えてくれる。

 
生演奏あり。日本の曲が演奏されていた。
 
昨日から食事にビールが1本になった。青木さんの差し金と思うが、団長も不満の様子。
(費用節減か?金なら出すよ!!と言いたい)
 
可愛いウエートレス
 

 
夕食後、4人でホテル前からトロリーバス(3角)に乗り、鐘楼まで出かける。北大街、献路散策。
寒くなってきたので、酒を飲もうと酒屋を探したが20:30過ぎのためなかなか見当たらない。
デパートに入ったが、話が通じずNG。20:30で閉店のため追い出される。

鐘楼ロータリーの北ポリスボックス側に1軒あり。ドイツ人夫婦団体がビールやコーヒーを飲んでいた。
いろいろ注文したが日本語はもとより英語も通じない。年齢16〜20歳くらいの店員が4、5人集まってきた。(後で劉君に聞くと、多分英会話の勉強のためではないかと言う)

歩いて帰ろうとしたが、道不案内のため、途中軍人専用宿舎の管理人にホテルの道順尋ねる。
らちがあかず、結局タクシーを呼んでもらった。料金は22元(外国人料金)

 

 
夜10:30頃(日本時間11:30)自宅に電話せり。
奥さんはすぐ出た(^O^)ずいぶん遅くまで起きているなあ。

 

次ぎに進む>1993年3月18日(木)

訪中団TOPに戻る