知多四国八十八ヶ所めぐり

2005年7月18日(月)第4回巡拝>第24番〜第29番+番外3

第27番&番外
曹洞宗 天竜山 誓海寺&開山所禅林堂

(知多郡美浜町古布善切20−63番地)

御本尊 釈迦牟尼仏

彼の岸に渡らむ古布の誓海寺 波も静かに法の風吹く

半島の先を目指して再び、自転車をこぐ。

名鉄河和線の終着駅「河和」前の交差点を左折する。

写真の前方方向>道標の「師崎・内海」方面

   
内海方面への交差点手前。
27番札所「誓海寺」は左方向(師崎方面)
約5分で誓海寺への入口「古布」の交差点に着く。
ここを右に曲がる。
   
曲がってすぐ、鮮やかなオレンジ色の橋が目に飛び込んできた。
橋の向こうに石碑が見える。
大きな字で「耕心」と書いてある。「たがやすこころ」とは、「心をこめて耕せ」ということか?「心を耕せ」でしょうか?

この言葉の発案者は齋藤美浜町長と石碑に記録されている。
齋藤町長は今年(2005年)の有名人の一人である。
「美浜町」と「南知多町」との合併後の市名を町議会で勝手に「セントレア市」と命名議決した。が、
住民が横文字市名に猛反発し、合併そのものに異議を申し立てた。最終的に合併賛否の住民投票が行われ、反故にされた。

齋藤町長は合併後の市長の椅子に目がくらみ、住民の心を逆撫でしたと、もっぱらの評判だ。
美浜町に住んでいる私の知人は手厳しく町長を批判した。
いままで、ずっと齋藤町長を尊敬し、支援してきたが、本件のことで彼に対する信頼はゼロになった。と・・・

川沿いに進むと信号交差点「九條」がある。
電柱にも「誓海寺」の看板が見える。
念のため、近くで草刈をしている人に尋ねると「このまま直進でOK」と答えた
政府主導の「平成の大合併」劇は全国各地で進んだ。が、
知多半島は阿久比町なども住民の反対で不成立となり、結局1件も実現しなかった。

南知多道路のガードを越えると、すぐに札所のぼりがあった。

   

誓海寺は農地や果樹園に囲まれた山の中にある。
この地域の人々はもともとは海辺近くに住んでいた。終戦の前年(昭和19年・1944年)に海軍航空隊の敷地となったため、全村がこの辺りに移転した。

 

立派な鐘楼である(1980年梵鐘鋳造)。誰でも自由に突ける。

お参りするには階段を登らなければならない。
そこで、自転車を山門に駐車。正面が大師堂、右側が本堂。

階段を登ったところから、鐘楼を見下ろす。ずっと前方に海が見える。

   

お参りして、納経印をいただくため100円を出したら、「ここは二番あるので200円です」といわれた。子供連れの先客が2人おり、住職の奥さんらしき人と親しく話しながら納経印をもらっていた。「お姉ちゃんはどうしたの?」と質問されて、子供は「今日は用事があって来ていない」と答えていた。
この家族はたびたび巡拝しているような雰囲気であった。奥さんらしき人は奥に戻って、みかんを持ってきた。

   

私にもひとつくれたが、私はみかんが嫌いなので、「結構です」と断った。
しかし、彼女は構わず、私に「お下がりですから遠慮せずにいただいてください」という。
これ以上断れないので、いただいた。手に取ると「ヒヤッ」とした。冷蔵庫で冷やしてあったのだ。
後で、鐘楼の下で食べたが、とても甘くて、冷たくておいしかった。ご馳走さまでした。

   

(時刻> 12時15分)

 

   

改めてお堂を確認すると、大師堂の隣に「開山所」禅林堂があった。

みかんをいただいて、それを食べ、ほっとしたためか、記念写真を撮り忘れました。残念!!

次は第28番「永寿寺」です。

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